「ジュークボックス」の版間の差分

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日本には戦後に[[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]が導入したといわれ、[[1970年代]]まで[[飲食業]]や[[ホテル]]などに設置されて全盛期を迎えたといわれている。太東貿易(現[[タイトー]])、レメーヤー&スチュアート社(後のサービスゲームズ。現[[セガ]])、V&V社の3社が最大手として、米国よりジュークボックスを輸入していた。
 
1960年代には国産化が始まり、[[1962年]]にはレメーヤー&スチュアート社(当時の社名は日本娯楽物産)より国産初のジュークボックス「セガ1000」が発売されている。セガ1000は日本で大ヒットし、日本娯楽物産も社名をセガに変更した。しかし1960年代後半ごろよりピンボールやエレメカなどにアミューズメント機器の主役は移り、1967年にはV&V社の社員の[[中山隼雄]](後のセガ社長)が独立して日本初のゲーム機のディストリビューターである[[エスコ貿易]]を設立した他、タイトーやセガもゲーム機のディストリビューションおよび自社開発を行うようになる。
 
他にも、現在ゲームソフトメーカーやゲームセンター、アミューズメント施設を運営する企業の一部が創業当初はジュークボックスに何らかの形(輸入・販売など)で携わっていた<ref>[[赤木真澄]]著 『それは「ポン」から始まった〜アーケードTVゲームの成り立ち〜 』、ISBN 4-9902512-0-2 ([[アミューズメント通信社]]、 2005年)</ref>。