「上条入道」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2011年11月}}
 
'''上条 入道'''(かみじょう にゅうどう、生没年不詳)は[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[尾張国]]の[[地頭]]。
 
[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に[[尾張国]][[春日井郡]][[上条城 (尾張国)|上条城]]周辺を[[地頭]]として支配していた。
 
[[暦応]]3年([[1340年]]) [[荒尾宗顕]]と共に現在の[[名古屋市]][[中川区]]富田町を中心として[[庄内川]]下流域に存在した[[円覚寺]]領[[尾張国|尾張]]富田荘(現在の[[名古屋市]][[中川区]]富田町)と、その周辺に存在した[[伊勢神宮]]領尾張国一楊、御厨の境界線争いを[[裁決]]した。後に出家して上条太郎左衛尉から上条左衛門大夫入道と呼ばれるようになった。
 
== 参考文献 ==
* 『[[円覚寺]]文書』
 
== 関連項目 ==
== 外部リンク ==
* [http://www.city.kasugai.lg.jp/bunka/bunkazai/kyodoshikasugai/kyodoshi06.html 郷土誌かすがい 第6号]
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
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