「骨法 (格闘技)」の版間の差分
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その後、[[源義光]]([[源義家]]の弟)が衰退していた骨法を復興し、彼の子孫に[[一子相伝]]で継承され、現在に至るものとしている(堀辺家は[[源義光]]の末裔と称する)。骨法のうち、堀辺家伝のものは司家骨法と称したとする。
堀辺は伝承された技をより実戦的に改良し、自ら流派の創始者を名乗っている。最初、家伝の武術の名称を「換骨術」としており、[[大東流合気柔術]]の佐川道場
堀辺によると、大伴古麻呂は「徹し」(とおし)とよばれる秘技を用いたという。これは中国拳法の浸透勁に似たものとされるが、古麻呂以後失伝しており、[[堀辺正史]]が現代に甦らせたと主張している。
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