「太平洋戦争 (1879年-1884年)」の版間の差分

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チリはペルーからタラパカ県を、ボリビアはアントファガスタ県など海岸沿いの領土を割譲させ、さらにペルー領であったタクナ県、アリカ県を獲得した(タクナは[[1929年]]にペルーへ返還)。戦争の結果、鉱物資源の輸出でチリは経済成長し、南米の大国とみなされて、[[第一次世界大戦]]までに[[ABC三国|ABC三大国]]として[[ブラジル帝国]]や[[アルゼンチン]]と肩を並べるまでになった。
 
この敗戦はペルー・ボリビア両国内部に深刻な社会批判を呼び、人口の大部分を占めるインディオやメスティーソへの価値を問い直させることになった。特にペルーでは[[マヌエル・ゴンサレス・プラダ]]が中心となってインディオの擁護と再評価が進み、この動きは20世紀になって[[ホセ・カルロス・マリアテギ]]の[[インディヘニスモ]]に結実した。その一方で、この戦争で生まれた両国の[[ナショナリズム]]は、後の1960年代以降にアンデス諸国が統合しようとする際に、統合と逆行する作用として働くことになった。
 
沿岸部の領土を失ったボリビアは[[内陸国]]となったが、主力は[[海兵隊]]であるものの、現在でも組織として独立した[[ボリビア海軍|海軍]](Fuerza Naval Boliviana: Bolivian Naval Force)を保有しており、主に[[チチカカ湖|ティティカカ湖]]や[[アマゾン川]]や[[大西洋]]に展開している。