「武田耕雲斎」の版間の差分

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天狗党は、斉昭の子で当時は[[京都]]にいた[[徳川慶喜]]を新たな水戸藩主に据えることを目的としていた。そして、800名の将兵を率いて[[中山道]]を進軍したが、[[敦賀市|敦賀]](越前国新保)で幕府軍の追討を受けて降伏した。降伏すると、簡単な取調べを受けた後、小四郎と共に斬首された。[[享年]]63。その後、妻・2人の子・3人の孫も斬り殺された。
 
耕雲斎は斉昭の影響を強く受けた尊皇攘夷派であったが、過激な攘夷には消極的だった。天狗党の首領とされた時、耕雲斎は既に死を覚悟していたらしい。
 
墓所は[[水戸市]]所在の妙雲寺。