「ムスタルシド」の版間の差分

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傀儡化の進んでいたアッバース朝の再軍備を行い、[[セルジューク朝]]の軛からの脱却を目指し、[[マズヤド朝]]の[[デュバイス2世]]や[[ザンギー朝]]の[[ザンギー|イマードゥッディーン・ザンギー]]らと戦った。
== 生涯 ==
1092年、ムスタズヒルの息子として生まれる。1118年即位。1095年頃から金曜礼拝の際の[[フトバ]]で彼の名前が唱えられており、先代ムスタズヒルの明確な後継者であった<ref>Ibn al-Athir p.191</ref><br>
1123年、デュバイスがイラクを攻撃した際は自ら出陣し、これを破っている。なお、この時カリフ軍に従った武将アクソンコル・アル=ブルスキの配下に、イマードゥッディーン・ザンギーがいる<ref>Ibn al-Athir pp.242-4</ref>。<br>
1127年、セルジューク朝の代替わりにより若年のスルタン、マフムードが即位した。セルジューク朝の武将でバグダードを任されていたヤルンカシュ・アル=ザカウィがムスタルシドの勢力伸長をマフムードに警告し、マフムードはバグダードへ侵攻しカリフ軍との戦闘となった。事態を収拾できなくなったマフムードは、この時[[バスラ]]の司令官となっていたザンギーを呼び寄せ、カリフ軍と戦わせた。ムスタルシドはザンギーに敗れ、武器を置いた<ref>マアルーフ pp.208-9</ref><ref>Ibn al-Athir pp.263-5</ref>。
1131-32年、先述のマフムードが没し、セルジューク朝の後継者争いが始まった。これを好機と見たムスタルシドは、諸勢力の調停に立ち権威回復を図る。
{{DEFAULTSORT:むすたるしど}}
[[Category:アッバース朝の君主]]
[[Category:7101092生]]
[[Category:7751135年没]]
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