「二階堂行親」の版間の差分

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父・盛義の死後、[[蘆名氏]]の養子になった兄・盛隆に代わって[[二階堂氏]]当主となるが、天正10年(1582年)に13歳で死去。天正13年([[1585年]])に16歳で没とする文献もある。そのため、行親死後は盛義の未亡人・[[阿南姫|阿南の方]](大乗院)が須賀川城主となり、家老の[[須田盛秀]]が実質的な城代となって、天正17年([[1589年]])に[[伊達政宗]]に攻め滅ぼされるまで領内を統治した。
 
なお、一説によると盛義の次男・照義(行親と同一人物かは不明)に義賢という弟がいて、後に佐竹氏に仕えたといわれている。
 
[[Category:二階堂氏|ゆきちか]]