「市川團十郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 誤字修正ほか
20行目:
先代の十二代目團十郎が最初に襲名したのが[[市川新之助]]、その子で当代の海老蔵が最初に襲名したのも市川新之助だったため、市川宗家では新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが通例だと誤解されがちだが、実際にかつて新之助を名乗った者がのちに團十郎を襲名したのは、この十二代目の他には七代目と八代目があるのみである(詳細は「[[市川海老蔵]]」の項を参照)。
 
なお團十郎の名跡はその圧倒的な存在感とは裏腹に、代々のうち半数が何らかの形で非業の最期を遂げていることでも知られている。すなわち、初代は舞台上で共演の役者によって刺殺され(満44歳)、三代目は公演先の大坂で病を得て江戸には戻ったものの2か月後に死去(満21歳)、六代目は風邪をこじらせて急死(満21歳)、八代目は公演先の大坂で謎の自殺を遂げ(満31歳)、十一代目は團十郎襲名後わずか3年半で病死(満56歳)、そして十二代目が白血病を患い、9年間に及ぶ壮絶な闘病もむなしく力尽きたことは記憶に新しい(満66歳)。代々の墓は[[青山霊園]]にある。
 
== 市川團十郎代々 ==<!--すべての歌舞伎役者の名跡の記事で、一段目に名跡、二段目に続柄・生没年・師弟関係・実父など、三段目に襲名歴、と書式を統一しています。どうかご了承ください-->