「交響曲第1番 (佐村河内守)」の版間の差分

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『'''交響曲第1番'''』('''HIROSHIMA''')は、[[日本]]の[[交響曲]]。[[2008年]]、[[佐村河内守]]名義で発表された。
 
一連の「[[佐村河内守#ゴーストライター問題|ゴーストライター問題]]」では、2003年に佐村河内が企画を提示<ref name="jiji_image">[http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_dd&p=goc205-jpp016619769 佐村河内さんが新垣さんに渡したとされる作曲の指示書] 時事通信社</ref>し、[[作曲家]]の[[新垣隆]]が[[モチーフ (音楽)|モチーフ]]の作曲から構成、オーケストレーションまでを担当した曲とされている<ref>[http://shukan.bunshun.jp/articles/-/363627 「現代のベートーベン」佐村河内守氏のゴーストライターが語った!](『週刊文春』)</ref>。
 
なお、新垣隆は、2014年2月6日の記者会見において、当作品を含む佐村河内守名義の代作について著作権を放棄する意思を表明している<ref>[http://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/140206/ent14020615120005-n1.html 佐村河内さん代作会見(1)「曲を書いてくれないと自殺する」と言われた] 産経デジタル 2014年2月6日</ref><ref>[http://blogos.com/article/79742/?p=1 「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見]、blogos、2014年2月6日。</ref>。
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[[2003年]]に、作曲家の[[新垣隆]]が、[[佐村河内守]]から「曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージを伝え、作曲をしてもらう形で」<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140205/k10015025061000.html 聴覚障害の作曲家 別人が作曲]([[日本放送協会|NHK]])</ref>依頼を受け作曲した。佐村河内から新垣への作曲依頼時には、A4の紙一枚に音楽的な指示(メロディーのフラグメント、音列、和声、リズム、テンポ、楽器法など)は一切ない情緒的なイメージをのみを佐村河内の妻の字で<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140208-1254647.html 偽ベートーベン妻の母「いつかバレる…」](日刊スポーツ)</ref>書き込んだもの(指示書)<ref name="jiji_image" />が渡された<ref name="bunshun">『[[週刊文春]]』「全聾の作曲家はペテン師だった!」([[文藝春秋]])、2014年2月13日号、29頁</ref>。指示書にはイメージする作曲家として、楽曲の各部分にそれぞれ、「祈り」の部分には中世ポリフォニック確立前の音楽や、[[トマス・ルイス・デ・ビクトリア|ビクトリア]]の「レクイエム」、[[ウィリアム・バード|バード]]のミサ曲、[[グレゴリオ聖歌]]が、「啓示」の部分には[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の「4声コラール集」と「[[ヨハネ受難曲]]」、「受難」の部分には[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の「[[レクイエム (モーツァルト)|レクイエム]]」、[[カール・オルフ|オルフ]]の「[[カルミナ・ブラーナ]]」、[[ペンデュラム (バンド)|ペンデュラム]]、「混沌」の部分には「特にあてはまる例無し」、その他[[クシシュトフ・ペンデレツキ|ペンデレツキ]]などと、作曲家名や作品が指定されていた<ref name="jiji_image" />。なお、依頼から作品の完成における副題は『現代典礼』とされており、作曲にあたって「広島の原爆投下」は両者に全く意識されていない<ref name="bunshun" />。後述のCD発売の直前に、副題が『HIROSHIMA』とされた
<ref>{{Cite web|url=http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-c3d0.html|title=しつこくS氏騒動・交響曲編|date=2014-02-08|accessdate=2014-02-10|author=吉松隆}}</ref>。
 
佐村河内の自伝<ref>佐村河内守『交響曲第一番』[[講談社]] 2007年 ISBN 4062139359</ref>では、[[2000年]]までに12曲の交響曲を作曲していたが、これらを全て破棄し、全聾以降あえて一から交響曲を制作する事を企図したとされている。この『HIROSHIMA』は、17歳の時に最初に構想した『交響曲第1番』に基き、「原爆投下後の20分間の広島を表現した」としていた<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20140207-OHT1T00094.htm 佐村河内さんから依頼「ヒロシマ」当初は「現代典礼」](報知新聞)</ref>。
 
新垣は、週刊文春に寄せた手記の中で、この曲には『ウルトラマン』や『スター・ウォーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』の要素をちりばめたと告白している。その理由は、それらの要素をいれると佐村河内が「いいね」と絶賛したからだという<ref>{{Cite journal|和書|author=新垣隆|date=2014-03-06|title=独走スクープ第4弾 佐村河内守へのラストメッセージ 新垣隆 ゴーストライター 独占手記|journal=週刊文春|volume=56|issue=9|pages=28-31|publisher=文藝春秋|url=http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3703|ref={{Harvid|新垣|2014}}}}</ref>。
 
== 初演 ==
第1楽章、第3楽章のみの初演は2008年[[9月1日]]に[[広島厚生年金会館]]において、「[[G8]]議長サミット記念コンサート〜広島のメッセージを世界に」の枠内で、[[秋山和慶]]指揮、[[広島交響楽団]]により行われた。その後第1楽章・第3楽章のみの改訂版初演が[[2010年]][[4月4日]]に[[東京芸術劇場]]において、[[大友直人]]指揮、[[東京交響楽団]]によって行われた。作曲家の[[吉松隆]]がこの東京初演を[[日本コロムビア]]の関係者に紹介したことが後のCD化の契機となった<ref>{{Cite web|url=http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-379a.html|title=続S氏騒動|date=2014-02-06|accessdate=2014-02-07|author=吉松隆}}</ref>。全曲初演は2010年[[8月14日]]、[[京都コンサートホール]]において、秋山和慶指揮、[[京都市交響楽団]]により行われた。
 
== 反響 ==
[[2008年]]、G8議長サミット記念コンサートという名目で、1・3楽章のみが広島で初演された。この作品での貢献により佐村河内守が広島市民表彰(広島市民賞)受賞<ref name="hmv">[http://www.hmv.co.jp/news/article/1106060068/ 佐村河内守] - HMV online</ref>。
 
[[2009年]]、[[芥川作曲賞]]の選考の際に、審査員の一人、[[三枝成彰]]がこの曲を推薦したが、受賞は果たせなかった<ref name="hmv"/>。
 
[[2010年]]4月、東京で1・3楽章のみがが初演された<ref name="hmv"/>。作曲家の[[吉松隆]]が、[[日本コロムビア]]の[[岡野博行]]に「面白い作曲家がいるよ」と紹介した。吉松は「その時は「ようやく同時代に嫉妬できる作曲家が出て来た」と喜んだ(そして、そのセリフを宣伝に使わせて下さいと言われたので応じた)のだが、それは本音。映画音楽みたいと言われようが何だろうが一般の聴衆を1時間以上釘付けにする純オーケストラ作品が生まれたのだ」と回顧している<ref>吉松隆、[http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-379a.html 続S氏騒動](2014年2月6日)、隠響堂日記、2014年2月11日閲覧。</ref>。
 
[[2011年]][[7月20日]]に[[大友直人]]指揮の[[東京交響楽団]]による[[コンパクトディスク|CD]]が[[日本コロムビア]]より発売<ref>ASIN: B0050NBGAU、EAN: 4988001480105</ref>。
 
[[2012年]][[11月9日]]に放送された[[日本放送協会|NHK]]『[[情報LIVE ただイマ!]]』"日本が涙!耳聞こえぬ作曲家・奇跡の旋律"で佐村河内が紹介された後<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/05/kiji/K20140205007523190.html 佐村河内氏のゴースト疑惑 NHKは知っていた?高橋への影響は…](スポーツニッポン)後</ref>、[[2012年]][[12月3日]]付[[オリコンチャート|オリコン週間アルバムチャート]]で推定売上枚数約1.9万枚を記録し、11月26付の100位圏外から9位に浮上する躍進を果たした。なお11月22日付のデイリーチャートでは2位を獲得している。このような人気の曲のためか[[日本コロムビア]]に対し注文が殺到していた<ref>{{Cite web|date=2012-11-27 04:00|url=http://www.oricon.co.jp/news/rankmusic/2019065/|title=【オリコン】全聾作曲家・佐村河内守氏が初TOP10 前週140位→9位に急上昇|work=|author=|publisher=[[オリコン]]|accessdate=2012-11-28 23:55}}</ref>。
 
[[2013年]]3月31日の[[NHKスペシャル]]『[[魂の旋律 音を失った作曲家|魂の旋律〜音を失った作曲家〜]]』<ref>[https://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0331/ 魂の旋律〜音を失った作曲家〜]</ref>の放送後、2013年4月15日付週間総合アルバムチャートでは[[FUNKY MONKEY BABYS]]『[[ファンキーモンキーベイビーズLAST BEST]]』に次ぐ2位を獲得した<ref>{{Cite web|date=2013-04-09|url=http://www.oricon.co.jp/news/2023466/full/|title=聾作曲家・佐村河内守が175位→2位に急上昇 5年10ヶ月ぶり快挙も|work=|author=|publisher=オリコン|accessdate=2014-02-09}}</ref>。出荷枚数が10万枚を超え、[[日本レコード協会]]から[[ゴールドディスク]]認定を受けたが、2014年[[2月7日]]に取り消された<ref>{{Cite web|date=2014-02-08|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/08/kiji/K20140208007542090.html|title=「HIROSHIMA」前代未聞のゴールドディスク認定取り消し|newspaper=[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]|author=|publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]]|accessdate=2014-02-8}}</ref>。