「スウェーデンの歴史」の版間の差分

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===統一王国の誕生とカルマル同盟 ===
[[12世紀]]になると[[エリク9世 (スウェーデン王)|エーリク9世]]による[[フィンランド]]進出([[北方十字軍]]<ref>百瀬、熊野、村井、p56。これは[[フィン人]]に対するキリスト教化([[カトリック教会|カトリック化]])であると共に、スウェーデン人による[[植民地]]化でもあった。</ref>)が行われ、[[ヴァルデマール1世 (スウェーデン王)|ヴァルデマール王]]を開祖とする[[フォルクンガ王朝|フォルクンガ朝]]のころにはフィンランド南部を併呑した([[スウェーデン=フィンランド]]の形成。デンマークとスウェーデンのバルト海東岸・南岸への進出は、すでにヴァイキング時代以前から始まっており、[[中世盛期]]以降のバルト海地域は、[[ハンザ同盟]]や[[騎士修道会]]の利害とも絡み、複雑化して行った<ref>百瀬、熊野、村井、p78。</ref>)。この[[十字軍]](<!--十字軍記事ができるまでとりあえず。-->[[スウェーデン・ノヴゴロド戦争]])は、1300年頃まで継続し、[[1323年]]に[[ノヴゴロド公国]]に対してシュルッセルブルグの和議を結ぶことによって終了した<ref>百瀬、熊野、村井、p87 - p90。</ref>(ただし両国の紛争自体は、15世紀半ばまで継続した)。フィンランドがスウェーデン王国に組み込まれる中で([[1284年]]には[[フィンランド公]]を設立)、[[ノルウェー]]とも[[1319年]]から[[1350年代|50年代]]まで[[同君連合|人的同君連合]]を組んだ<ref>百瀬、熊野、村井、p98。</ref>。[[1370年]]には、ハンザ同盟と組み、{{仮リンク|シュトラルズントの和議 (1370年)|en|Treaty of Stralsund (1370)|label=シュトラルズントの和議}}を結んで[[デンマーク]]を牽制した<ref>百瀬、熊野、村井、p101。</ref>。
 
また、現在のスウェーデンの首都となる[[ストックホルム]]は、[[13世紀]]半ばにスウェーデン東部の[[メーラレン湖]]東にある小島スタツホルメン島にフォルクンガ朝の[[ビルイェル (スウェーデン王)|ビルイェル・ヤール王]]による[[要塞|砦]]として築かれたのが最初で、砦としてだけでなく、都市としての機能も形成された(島を囲むように[[木材|丸太]]の柵が巡らされていた為に、「丸太の小島」と呼ばれるようになったが、これは[[スウェーデン語]]で「ストックホルム」と言い、都市名もそれに倣って決定された)。ストックホルムの街は次第に拡大して行き、スウェーデンの有数の都市となり、ハンザ同盟においても重要な都市として発展していった。