「1936年ベルリンオリンピック」の版間の差分

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ベルリンは[[1916年]]のオリンピック開催都市として一度は開催が予定されていたが、[[第一次世界大戦]]によって中止された。さらにドイツは第一次世界大戦に敗北し、国土が荒廃し経済危機に陥ることとなった。
 
しかし、1931年に[[フランス]]の[[パリ]]で行われた第11回夏季オリンピックの開催地投票において、ベルリンが[[スペイン]]の[[バルセロナ]]を43対16で破って再び開催地の地位を獲得したことで、開催に向けての準備が進められた(夏季五輪は開催が取りやめとなった場合でも開催地に選択されたことが「みなし回次」として残るため、今回のベルリンでの開催決定は公式上は2目として形式的な記録に残る)。
 
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=== 「ヒトラーのオリンピック」 ===
[[File:Olympics in Berlin 1936.jpg|thumb|right|220px|ベルリン市内に飾られた彫刻]]
[[File:Berlin36-2.jpg|thumb|right|220px|ベルリンオリンピック時の[[ベルリン・オリンピアシュタディオン]]。右側の柱には[[ナチス・ドイツ]]の[[ハーケンクロイツ]]が描かれてい。]]
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1976-033-17, Berlin, Olympische Spiele.jpg|thumb|right|220px|オリンピアシュタディオンに入場するヒトラー]]
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1976-116-08A, Olympische Spiele, Fackelläufer.jpg|thumb|right|220px|聖火リレー]]
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* 前回のロサンゼルス大会に引き続き、[[平沼亮三]]が日本選手団長を務めた。
* 陸上の10,000メートル、5,000メートルに出場した[[村社講平]]は共に4位とメダルはならなかったものの、小柄な村社が大柄な[[フィンランド]]の選手達([[イルマリ・サルミネン]]、[[アルヴォ・アスコラ]]、[[ボルマリ・イソ=ホロ]])を相手に果敢に先行する姿がドイツの観衆達の熱狂的な共感を呼び、日本においてもベルリンオリンピック最初の国民的[[英雄]]となった。
* 陸上三段跳びの田島直人が連続金メダルを獲得し3大会連続の日本の勝利を見せ、また走幅跳びでも銅メダルを獲得する活躍をみせた。
* 陸上棒高跳びでは西田修平と大江季雄の日本勢が、アメリカ勢との熾烈な争いの末、それぞれ銀・銅メダルを獲得。2人はメダルを半分ずつに割って『'''友情のメダル'''』を作成した。(後に、[[西田修平]]のメダルは[[早稲田大学]]に、大江季雄のメダルは[[秩父宮記念スポーツ博物館]]に、それぞれ寄贈された)。
* 女子二百メートル平泳ぎでは前畑秀子が、地元ドイツのゲネンゲルの激しい追い込みを僅差で押さえ、金メダルを獲得した。ラジオ放送での[[河西三省]][[アナウンサー]]の「前畑頑張れ」の連呼の実況は、日本の聴衆者に熱狂的な興奮を巻き起こした。
* サッカーでは初出場の日本チームが優勝候補の[[スウェーデン]]を破る歴史的番狂わせを演じ([[ベルリンの奇跡]])ベスト8に進出した。
* アメリカのジェシー・オーエンスが、男子短距離・跳躍種目のそれぞれに優勝し史上初の4冠を達成した。この陸上4冠記録は[[カール・ルイス]]が登場するまで並ぶ者は出なかった。
 
== 報道 ==