「小沢グループ」の版間の差分

== 概要 ==
[[2003年]](平成15年)の[[民由合併]]によって解散した旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]出身の議員を指していた。当初は党中党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、[[2004年]](平成16年)6月に当時当選1~2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、[[2005年]](平成17年)秋、[[第44回衆議院議員総選挙]]の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。[[2006年]](平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、[[2007年]](平成19年)の[[第21回参議院議員通常選挙]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。
 
旧自由党出身で当初小沢グループと見れていた議員の中でも、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と対立し離党した議員や[[藤井裕久]]、[[平野達男]]のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。
 
第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに[[国民新党]]出身の議員も参加することとなった。[[2010年]](平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした<ref>{{Cite news
}}</ref>。
 
政策的にはかつて旧自由党時代は右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。旧自由党出身で当初小沢グループと見れていた議員の中でも、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と対立し離党した議員や[[藤井裕久]]、[[平野達男]]のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。小沢同様、選挙に向けて自民党との対立軸を鮮明にする傾向があり、対案路線を掲げる[[凌雲会|前原グループ]]や[[花斉会|野田グループ]]とは対立することが多かった。
 
ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に[[小沢チルドレン]]とマスメディアで呼ばれた。
[[2011年]](平成23年)12月21日、小沢を支持する三つのグループが勉強会「[[新しい政策研究会]]」を発足させた<ref>{{cite news |language = | author = | url =http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111222-OYT1T00238.htm| title =小沢G統合勉強会、106人で消費増税けん制| publisher =| date= 2011-12-22| accessdate =2011-12-22}}</ref>。2011年12月、小沢を支持する[[内山晃]]ら9人の民主党所属の議員が「[[新党きづな]]」を結成して集団離党する。さらに[[2012年]](平成24年)7月、当の小沢が計48人の議員を率いて民主党を集団離党して新党「[[国民の生活が第一]]」を結成した。新党結成後も一部の議員は民主党内に残ったが、この時点で民主党内の小沢系グループは事実上消滅したとされる。
 
その後、相次ぐ国政選挙で小沢系の議員が所属多数落選する政党が議席を減らすなど小沢の求心力の衰えが指摘されている。
 
2011年(平成23年)に発足した[[21世紀国家ビジョン研究会]](小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。
872

回編集