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'''高木 元右衛門'''(たかぎ もとえもん、[[天保]]4年([[1833年]]) - [[元治]]元年([[1864年]])7月)は、[[江戸時代]]末期から[[幕末]]にかけての[[肥後国]][[菊池郡]]深川村([[熊本県]][[菊池市]]深川)の[[熊本藩|肥後]][[藩士]]。菊村の[[郷士]]・高木甚之助の次男。諱は'''直久'''。
 
武芸に優れ、成童の頃に父・甚之介の剣術仲間であった[[荒尾村]]の郷士・[[宮崎政賢]]の養子となる。家督相続人として迎えられていたが、国事を志して宮崎家を飛び出し、武者修行の旅へ出る。[[尊王攘夷]]派と親交を深め、[[肥後勤王党]]に加わる。[[文久]]2年([[1862年]])、肥後藩親兵隊として上洛。文久3年([[1863年]])、[[八月十八日の政変]]の頃に脱藩し、京都で活動する。元治元年([[1864年]])6月の[[池田屋事件]]で[[新選組]]の襲撃を受け、[[近藤勇]]と応戦して包囲網を突破し、[[長州藩]]邸に逃げ込んだ。翌月の[[禁門の変]]で長州方として戦い、幕府軍の銃弾を受けて戦死した。享年32。
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== 外部リンク ==
*[http://kikuchikanko.ne.jp/modules/group/index.php?lid=148&cid=11 菊観光協会]
 
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