「パナマ運河疑獄」の版間の差分

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==概要==
[[1879年]]、[[フェルディナン・ド・レセップス]]は[[ギュスターヴ・エッフェル]]らの協力を得てパナマ運河会社を設立し、パナマ[[運河]]の建設に着手した。しかし難工事、[[黄熱病]]、[[放漫経営]]により工事は中断された。[[1888年]]には、政府の許可を得て[[宝くじ]]付き[[債券]]を発行し資金を賄ったが、翌年には破綻が宣告された。
 
{{Main|{{仮リンク|1882年のパリブルズ暴落|en|Paris Bourse crash of 1882}}|ブーランジェ将軍事件}}
 
しかし難工事、[[黄熱病]]、[[放漫経営]]により工事は中断された。[[1888年]]には、政府の許可を得て[[宝くじ]]付き[[債券]]を発行し資金を賄ったが、翌年には破綻が宣告された。
 
政府は工事を続行するために新会社を設立して運河会社の清算を進め、1890年には[[コロンビア]]との契約が更新された(しかしフランスによる建設は失敗し、[[20世紀]]に入り[[アメリカ合衆国]]に売却されることになる)。[[1892年]]には[[清算]]処理方針が決まり、約80万人の一般国民が買った債券は紙切れとなった。
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