「ジョー・ウォルシュ」の版間の差分

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| Origin = {{USA}} [[カンザス州]][[ウィチタ]]
| Instrument = [[ギター]]<br />[[ボーカル|歌]]<br />[[キーボード (楽器)|キーボード]]<br />[[ベース (弦楽器)|ベース]]<br />[[ドラムセット|ドラムス]]<br />[[マンドリン]]<br />[[クラリネット]]<br />[[オーボエ]]
| Genre = [[カントリー・ロック]]<br />[[ロック (音楽)|ロック]]<br />[[ブルースロック]]
| Occupation = [[ギタリスト]]<br />[[シンガーソングライター]]
| Years_active = [[1967年]] -
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'''ジョー・ウォルシュ'''('''Joe Walsh''', [[1947年]][[11月20日]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[カントリー・ミュージック|カントリー]]・[[ロック (音楽)|ロック]]・[[バンド (音楽)|バンド]]、[[イーグルス]]の[[ギタリスト]]。
 
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第54位。
1965年[[オハイオ州]]の[[ケント州立大学]]に音楽を学ぶために入学するがライブ活動に熱中し1年半で退学。
1969年に[[ハードロック]]バンド、[[ジェイムス・ギャング]]でデビュー、「ウォーク・アウェイ」などのヒット曲を出す。その後'''バーンストーム'''結成、ソロ活動後、1975年、イーグルスに加入。イーグルス解散後も、ソロ活動を継続している。1994年にイーグルスが再結成後はイーグルスを中心に活躍中。
 
== 経歴 ==
[[イーグルス]]という世界的人気のロックバンドのギタリストであるが、イーグルスに加入する前からすでにソロ・ミュージシャンとしてその名は知られていた。1974年のアルバム『ソー・ホワット』には[[グレン・フライ]]、[[ドン・ヘンリー]]、[[ランディ・マイズナー]]が参加しており、イーグルスの代表的アルバム『[[ホテル・カリフォルニア (アルバム)|ホテル・カリフォルニア]]』のプロデューサーを務めた[[ビル・シムジク]]をイーグルスと引き合わせたのはウォルシュである(シムジクとウォルシュはジェイムス・ギャング時代から共に仕事をしていた)。ウォルシュ加入後のイーグルスもステージでウォルシュやジェイムス・ギャングの曲を演奏している。また、イーグルス在籍時の1978年にはソロ・アルバム『ロスからの蒼い風』を発表し、このアルバムからカットされたシングル「この人生に賭けて」(全米第12位、アルバムでは8分を超える大作)とともに大ヒットし、ウォルシュのソロキャリアでの最大の成功作である。
1965年[[オハイオ州]]の[[ケント州立大学]]に音楽を学ぶために入学するがライブ活動に熱中し1年半で退学。
 
1969年に[[ハードロック]]バンド、[[ジェイムス・ギャング]]のギタリスト兼ヴォーカリストとしてデビュー、「ウォーク・アウェイ」などのヒット曲を出す。その後'''バーンストーム'''結成、ソロ活動後、1975年、イーグルスに加入。イーグルス解散後も、ソロ活動を継続している。1994年にイーグルスが再結成後はイーグルスを中心に活躍中
ウォルシュはコンサートでは非常にアグレッシブに動き回り、時には派手な衣装を身に纏うなどしてパフォーマーとしてもその力量を大いに発揮する。特にイーグルスでは、バンドのフロントマンであるドン・ヘンリーとグレン・フライよりも目立っていた。また、1980年にはアメリカ大統領選に立候補をしようとした(当時33歳。被選挙権下限の35歳を下回るので実際にはできない)。『イーグルス・ライブ』において、[[ティモシー・B・シュミット]]が「~The next president of the United States, Mr.Joe Walsh」と紹介しているのを聴くことが出来る。
 
1978年にはソロ・アルバム『ロスからの蒼い風』を発表し、このアルバムからカットされたシングル「この人生に賭けて」(全米第12位、アルバムでは8分を超える大作)とともに、自身最大のヒットを収めた。
最も影響を受けたギタリストとして[[デュアン・オールマン]]を挙げており、「自分は彼が遣り残した事を遣っているに過ぎない」とインタビューで語っている。
 
1994年にイーグルスが復活して以降、バンドを中心に活躍中。
エクストラ級免許を持つ[[アマチュア無線]]家としても知られる([[コールサイン]]はWB6ACU、在留者局のコールサインは7J1AXX)。[[2004年]]10月、イーグルスの日本公演で来日した際、[[東京都]][[豊島区]][[巣鴨]]の[[日本アマチュア無線連盟]]本部を表敬訪問している。
 
== 評価人物 ==
[[イーグルス]]という世界的人気経歴ロックバンドのギタリストであるが通り、イーグルスに加入する前からすでにソロ・ミュージシャンとしてその名は知られていた。1974年のアルバム『ソー・ホワット』には[[グレン・フライ]]、[[ドン・ヘンリー]]、[[ランディ・マイズナー]]が参加しており、イーグルスの代表的アルバム『[[ホテル・カリフォルニア (アルバム)|ホテル・カリフォルニア]]』のプロデューサーを務めた[[ビル・シムジク]]をイーグルスと引き合わせたのはウォルシュである(シムジクとウォルシュはジェイムス・ギャング時代から共に仕事をしていた)。ウォルシュ加入後のイーグルスもステージでウォルシュやジェイムス・ギャングの曲を演奏している。また、イーグルス在籍時の1978年にはソロ・アルバム『ロスからの蒼い風』を発表し、このアルバムからカットされたシングル「この人生に賭けて」(全米第12位、アルバムでは8分を超える大作)とともに大ヒットし、ウォルシュのソロキャリアでの最大の成功作である。
ギタリストとして有名であり、テクニックもある。さらにスライドギターも上手く、アメリカンロックを中心に、カントリーロックやブルースなどのギターも弾く。
またジェイムス・ギャング時代にはリードボーカルも務めており、ボーカリストとしても名は知られている。
 
ウォルシュはコンサステでは非常にアグレッシブに動き回り、時には派手な衣装を身に纏うなどしてパフォーマーとしてもその力量を大いに発揮する。特にイーグルスでは、バンドのフロントマンであるドン・ヘンリーとグレン・フライよりも目立っていた。また、1980年にはアメリカ大統領選に立候補をしようとした(当時33歳。被選挙権下限の35歳を下回るので実際にはできない)。『イーグルス・ライブ』において、[[ティモシー・B・シュミット]]が「~The next president of the United States, Mr.Joe Walsh」と紹介しているのを聴くことが出来る。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第54位。
 
最も影響を受けたギタリストとして[[デュアン・オールマン]]を挙げており、「自分は彼が遣り残した事を遣っているに過ぎない」とインタビューで語っている。
 
エクストラ級免許を持つ[[アマチュア無線]]家としても知られる([[コールサイン]]はWB6ACU、在留者局のコールサインは7J1AXX)。[[2004年]]10月、イーグルスの日本公演で来日した際、[[東京都]][[豊島区]][[巣鴨]]の[[日本アマチュア無線連盟]]本部を表敬訪問している。
 
== 作品 ==