「ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
RJANKA (会話 | 投稿記録)
9行目:
大使在任中に、[[産業革命]]が進む英国の経済的成功に強烈な印象を受けていたカルヴァーリョは、[[1755年]]に宰相に就任すると、同様な経済政策をポルトガルでも採用、強力な権限を持つ商業評議会を設立して、財政の改革や工業化を推進した。また[[インド]]のポルトガル植民地における奴隷制を廃止し、陸海軍を再編、コインブラ大学も再建した。「ポンバルの改革」によって、それまで卑しいとされてきたポルトガルの[[ブルジョアジー]]の地位は大きく向上する。
 
同年[[11月1日]]、[[1755年リスボン地震|リスボン大地震]]が発生し、津波と火災のためリスボンの町は壊滅的な打撃を受けた。カルヴァーリョは間一髪の差で生き残り、再建に乗り出した。聖職者の反対を押し切って市内の遺体を沖合に運んで[[水葬]]するというカルヴァーリョの策により、幸い疫病は発生せず、カルヴァーリョの指揮により市民が瓦礫撤去と再建に動員され、リスボンの町は碁盤目状に区画され、新興ブルジョアジーが町の中心部に進出した。この時再建されたリスボン市街([[バイシャ・ポンバリーナ]])の建築様式をポンバル様式という。
 
== 専制支配 ==