「八代郡 (甲斐国)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m -right
23行目:
== 歴史 ==
=== 近世までの歴史 ===
古代の[[律令制]]下では地方制度として[[国郡制]]が施行され、甲斐国では八代郡を含む四郡が設置される。八代郡に関する初見史料は『[[続日本紀]]』[[神護慶雲2年(768]]([[768]])5月28日条。
 
郡域のうち白井郷に比定される[[甲府盆地]]南部の[[曽根丘陵]]は[[甲斐銚子塚古墳]]をはじめとする畿内の影響を受けた古墳前期の大型古墳が分布している地域で、伝統的勢力の根拠地である。[[古墳時代]]後期の甲府盆地においては、盆地南部の伝統的勢力の衰退後に盆地各地へ古墳の分布が拡散し、6世紀後半段階では盆地東西に二大勢力が出現する。八代郡域にあたる[[笛吹市]]御坂町井之上には盟主とされる[[姥塚古墳]]を築造した勢力と、巨摩郡域にあたる甲府市千塚の[[加牟那塚古墳]]を盟主とする勢力が対峙していた構造が指摘されている。7世紀には山梨郡域にあたる笛吹市春日居地区において白鳳期の古代寺院である[[寺本廃寺]](寺本古代寺院)を創建する勢力が出現しているが、国郡編成にあたり盆地赤口の在地勢力が立郡に携わっていた可能性が考えられている<ref>考古学的に見た古墳後期における甲府盆地の諸勢力については、坂本美夫「群集墳の出現」『[[山梨県史]]』通史編1原始・古代 第四章三節。</ref>。