「観世流」の版間の差分

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一方二十四世[[観世元滋]]はきわめて政治的な手腕に優れ、梅若派に復帰を呼びかけるとともに、流儀の統一をはかり、流勢の伸張に意をつくした<ref>能・狂言事典、前西芳雄「観世左近」の解説より</ref>。さらには家ごとに差の大きかった謡の統一をはかるべく、[[大成版謡本]]を企画・刊行した。
 
[[1950年代]]から60年代にかけては雅雪の子[[観世寿夫]]、[[観世栄夫]]、観世静夫を中心とする新世代の能楽師が、演能、技法論、異分野との競演などでめざましい活躍を見せ、特に寿夫は世阿弥の再来とまで評された<ref>『サライ』小学館、2009年3月5日号、129頁。</ref><!-- 書籍に案外見当たらないので雑誌を書いておきますが、良い出典があれば置き換えてください。-->名手で、[[観世銕之亟 (8世)|八代観世銕之丞]](観世静夫)や[[片山九郎右衛門 (9世)幽雪|九世片山九郎右衛門]]など、その影響を受けた能楽師は多い。元滋の没後は、子の元正が二十五世宗家を相続し、現宗家二十六世清和に至る。
 
==== 歴代宗家 ====