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中央通り (高松市)

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歴史
 
== 歴史 ==
中央通りの前身は[[昭和天皇]](当時皇太子)成婚の記念として[[高松城 (讃岐国)|高松城]]総曲輪内を貫通するように整備された「記念道路」で、[[1924年]](大正13年)7月に着工し[[1925年]](大正14年)[[3月31日]]に竣工した。開通時の幅員は22m、延長は616mで、開通後は沿線に大企業の支店が次々と進出し、当時としては珍しい鉄筋コンクリートの建物が立ち並ぶなど、四国有数のビジネス街としての歴史が始まる<ref>{{Cite book |和書 |last= 徳山|first= 久夫|year= 2008|title= 高松今昔写真帖―保存版|publisher= 郷土出版社 |page= 165頁|isbn= 978-4-87663-978-6}}</ref>。記念道路は高松城の総曲輪内を貫通しており、道路用地だけでなく特に旧桜の馬場の西半分は中堀も含めて埋め立てられ、道路沿うように城内の施設も一切取り払われて市街地として造成されている。開通から3年後の[[1928年]](昭和3年)にそれまで高松城内であった記念道路沿線が[[寿町 (高松市)|寿町]]として新湊町一丁目〜四丁目から独立した<ref>{{Cite book|和書 |author= 角川日本地名大辞典編纂委員会|year= 1985|month= 9|title= 角川日本地名大辞典37 香川県|publisher= 角川書店|pages= 336頁|id= |isbn= 978-4-04-001370-1}}</ref>。
[[1925年]](大正14年)に[[昭和天皇]]成婚の記念道路として寿町から兵庫町までの区間が整備された。
 
戦時中には既に中新町交差点までは整備されていたことが確認されており<ref>[[2006年]](平成18年)に[[高松空襲]]直後に米軍が撮影した損害評価のための航空写真の公開により判明</ref>、その後[[戦災復興都市計画]]として[[1954年]](昭和29年)に[[栗林公園]]までの区間が延伸された。
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