「矢野英司」の版間の差分
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{{BLP unsourced|date=2015年1月}}
{{Infobox baseball player
|選手名 = 矢野 英司
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* [[横浜中学校・高等学校|横浜高等学校]]
* [[法政大学野球部|法政大学]]
* [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]] (1999 - 2003)
* [[大阪近鉄バファローズ]] (2004)
* [[東北楽天ゴールデンイーグルス]] (2005 - 2006)
*
* [[アメリカン・ディフェンダーズ・オブ・ニューハンプシャー|ナシュア・プライド]] (2007 - 2008)
}}
'''矢野 英司'''(やの えいじ、[[1976年]][[6月15日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。
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横浜高校時代は3度[[日本の高校野球#全国大会|甲子園]]に出場。同期の選手に[[多村仁志]]、[[紀田彰一]]、[[斉藤宜之]]などがいる。
[[法政大学]]
1年目の開幕前は[[上原浩治]]らと共に新人王の有力候補に名前が挙げられていた。開幕後は先発・中継ぎで30試合に登板したが、防御率6.16と振るわず、また怪我により離脱もあり、即戦力としての期待を裏切ることとなった。2年目は谷間の先発で好投していたが、右肘靭帯の断裂で5月に登録抹消、9月に手術を受ける。以後は故障に泣かされ続け、[[2001年]]から[[2003年]]の3年間は一軍登板なしに終わった。
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[[2004年]]、[[門倉健]]・[[宇高伸次]]との交換[[トレード]]で[[福盛和男]]と共に[[大阪近鉄バファローズ]]に移籍。4年ぶりに一軍登板を果たすが、結果は残せなかった。
[[2005年]]
[[2007年]]、アメリカ[[独立リーグ]]である[[ノーザンリーグ]]のシャンバーグ・フライヤーズに入団するも、8試合で1勝2敗の防御率11.92(11.1イニング)と結果が出ず途中で解雇された。その後[[カナディアン・アメリカン・リーグ]]の[[アメリカン・ディフェンダーズ・オブ・ニューハンプシャー|ナシュア・プライド]]に移籍。14試合で2勝2敗の防御率5.72(50.1イニング)と奮わず[[2008年]][[8月]]にナシュアを退団した。
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|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1999}}
|rowspan="2" style="text-align:center;"|[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]
|30||8||0||0||0||2||5||1||--||.286||288||64.1||74||10||26||0||0||53||1||0||46||44||6.16||1.55
|-
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=== 記録 ===
* 初登板:1999年4月3日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]2回戦([[横浜スタジアム]])、12回表に5番手で救援登板・完了、1回1失点で敗戦投手
* 初奪三振:同上、12回表に[[高橋智]]から
* 初勝利:1999年4月27日、対[[広島東洋カープ]]2回戦(横浜スタジアム)、8回表2死に4番手で救援登板、1/3回2失点
* 初先発:1999年5月16日、対[[読売ジャイアンツ]]7回戦([[東京ドーム]])、5回3失点で敗戦投手
* 初セーブ:1999年8月5日、対広島東洋カープ17回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
* 初先発勝利:2000年5月7日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤドーム)、6回1失点
=== 背番号 ===
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== 外部リンク ==
* {{NPB|11413888}}
* 選手の通算成績と情報 [http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=yano--001eij Baseball-Reference]、[http://www.thebaseballcube.com/players/Y/Eiji-Yano.shtml The Baseball Cube]
{{横浜ベイスターズ1998年ドラフト指名選手}}
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[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
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