「臨済義玄」の版間の差分

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== 生涯 ==
当初、経論を学ぶも満ち足りず、[[禅宗]]へ転向して[[黄檗希運]]に師事し、いわゆる'''[[黄檗三打]]'''の機縁で大悟した。
 
その後[[河北省]]の有力軍閥である成徳府[[節度使]]{{仮リンク|王紹懿|zh|王紹懿|en|Wang Shaoyi}}(禅録では王常侍)の帰依を受け、[[正定県|真定府]]の'''[[臨済寺 (河北省)|臨済院]]'''に住み、興化存奬を初めとする多くの弟子を育て、北地に一大教線を張り、その門流は後に[[臨済宗]]と呼ばれるようになった。