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[[横浜正金銀行]]サンフランシスコ支店長を務めた[[時枝誠之]]の子として[[東京都|東京]][[神田 (千代田区)|神田]]に生まれる。
 
[[暁星中学校]]、[[第六高等学校 (旧制)|第六高等学校]](現[[岡山大学]])を経て、[[1925年]][[東京大学|東京帝国大学]][[文学部]]国文科卒業。[[卒業論文]]は「日本に於ける言語意識の発達及び言語研究の目的と其の方法」。[[1943年]][[博士(文学)|文学博士]](東京帝国大学)。[[論文]]の題は「言語過程説の成立とその展開」<ref>博士論文書誌データベース</ref>。
 
[[1925年]]旧制第二東京市立中学校(現[[東京都立上野高等学校]])[[教諭]]、[[1927年]][[京城帝国大学]][[准教授|助教授]]、[[1933年]]同[[教授]]、[[1943年]]東京帝国大学文学部国語学国文学第一講座教授。[[1954年]]国語学会代表理事。[[1961年]]東京大を定年退官し同大[[名誉教授]]となり、[[早稲田大学]]教授就任。