「水原秋桜子」の版間の差分

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主宰誌の『馬酔木』には、『ホトトギス』の沈滞したムードを嫌った[[五十崎古郷]]と門弟の[[石田波郷]]や若手の俳人達が集い、さらに[[加藤楸邨]]、[[山口誓子]]なども加わり、やがてホトトギスと対抗する一大勢力となった。この頃、『土上』を主宰し新興俳句に傾いていた10歳年上の[[嶋田青峰]]に対し、「天地眼前にくずるるとも無季俳句を容認すべきではありません」と忠告を発した<ref name="ym">夢幻亭"[http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_2e59.html 『密告』…5嶋田青峰:夢幻と湧源]"2007年11月10日.(2011年7月28日閲覧。)</ref>。その甲斐もなく、青峰は[[1941年]](昭和16年)[[2月5日]]に[[新興俳句弾圧事件]]で逮捕されてしまう<ref>村山(1985):267 - 268ページ</ref>。<!--なお、[[西東三鬼]]によれば秋桜子は青峰の息子・[[嶋田洋一 (俳人)|洋一]]を評価していたという<ref> 嶋田(1966):152ページ</ref>。--<!--これは嶋田のほうの記事に書いてあれば十分でしょう-->
 
[[1962年]](昭和37年)[[俳人協会]]会長に就任。[[1964年]](昭和39年)[[日本芸術院賞]]受賞<ref>『朝日新聞』1964年4月11日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、1頁。</ref>。[[1967年]](昭和42年)には[[瑞宝章|勲三等瑞宝章]]を叙勲する。[[1978年]][[11月18日]]の昭和大学創立五十年記念式典で特別功労者として表彰。式典の記念品のひとつに昭和大学五十年を詠んだ秋桜子の句の色紙が配られた。この句の句碑は大学キャンパスの中庭に建てられている<ref>前掲『昭和大学五十年史』</ref>。[[1981年]][[7月17日]]、[[心不全|急性心不全]]のため88歳にて死亡。墓は[[東京都]][[豊島区]]の都営[[染井霊園]]にある。
 
== 作品 ==
* 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年11月15日発行、404頁
* 『大正人名辞典 II』 日本図書センター、1989年2月5日発行
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{{日本芸術院賞}}
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