削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
8行目:
H部隊の最初の作戦は、H部隊が編成された理由と深く関わるものであった。イギリス首脳部は、地中海に残存している[[フランス海軍|フランス艦隊]]は地中海におけるイギリスの権益にとって脅威であるとみなしていた。独仏の休戦条約上では、フランスは自らの艦艇を引き続き保有することになっていたが、もし[[ヴィシー政権]]がフランス艦艇を[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]に引き渡せば、地中海の戦力バランスはイギリスにとって決定的に不利になる。結果として、H部隊は、[[メルセルケビール海戦|カタパルト作戦]]を実行するよう命令を受けることとなった。
 
残存フランス海軍部隊のうち、もっとも強力な部隊は[[アルジェリア]]の[[メルセルケビール|メルセルケビール港]]に在泊していた。この部隊は、フランス艦隊のなかでもっとも新しくかつ強力な艦艇である[[戦艦|高速戦艦]][[ストラスブール (戦艦)|ストラスブール]]、[[ダンケルク (戦艦)|ダンケルク]]2隻と、旧式ながらよく整備された[[超弩級戦艦]]2隻、およびその護衛に当たる艦艇からなっていた。H部隊はアルジェリア沿岸に進出し、フランス艦隊司令官のもとへ交渉団を送った。交渉団はフランス艦隊に対し、中立国で抑留されるか、イギリスとともにドイツと戦うか、このまま泊地で自沈するか、など様々な提案を行った。しかし、交渉に当たったフランス軍指揮官は上層部に対して自沈案のみを報告したため{{要出典|date=2008年11月}}、イギリスと交戦するように命令を受けることとなった。フランス側は交渉役のホランド大佐に対し、「フランス艦艇がドイツ・イタリアの手に渡る事が無いことを保障すること、さらにフランス海軍は不当な攻撃には武力を持って反撃をする用意があること」を申し入れ、明確な回答を避けた。これに対し、イギリス側はフランス側の明確な約束のないのを口実として、12時30分に[[航空母艦|空母]][[アーク・ロイヤル (空母・初代)|アーク・ロイヤル]]の[[フェアリー ソードフィッシュ|ソードフィッシュ]][[艦上攻撃機|艦上雷撃機]]による湾口への磁気[[機雷]]の散布を実行し、フランス艦隊が退避できないようにした。交渉決裂の原因はフランス軍の指揮官の反英感情と共にH部隊の司令官の好交戦欲にあるのではないかと欧州では考えられることが多い
交渉決裂の原因はフランス軍の指揮官の反英感情と共にH部隊の司令官の好交戦欲にあるのではないかと欧州では考えられることが多い。
 
戦闘の結果、残存のストラスブールと駆逐艦4隻が地中海の軍港[[トゥーロン|ツーロン]]に脱出したが、そのために多くの犠牲を払うこととなった。イギリス艦隊の砲火によって旧式戦艦[[ブルターニュ (戦艦)|ブルターニュ]]は爆沈、1,000人以上の将兵が戦死した。旧式戦艦[[プロヴァンス (戦艦)|プロヴァンス]]は大破、ダンケルクも被弾したが、後に修理を受けてツーロンに移動したために結局無力化出来た戦艦は1隻のみであった上に、フランス国民の反英感情を煽り、ヴィシー政権が[[枢軸国|枢軸陣営]]に入って[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の脅威となりかねない危険性を残しただけであった。
 
== マルタ輸送船団護衛作戦 ==
この喜ばしからざる作戦の後、H部隊は通常の任務に携わることになり、西部地中海での様々な作戦に参加した。それらのなかで特筆すべき作戦は、[[マルタ島]][[護送船団|輸送船団]]の護衛作戦である。マルタ行きの早期の船団は比較的軽微な損害を出すにとどまっていた。しかし1941年に、ドイツが[[シチリア|シチリア島]]に[[ドイツ空軍]][[第10航空軍団 (ドイツ)|ドイツ空軍第10航空軍団]]を配備してから状況は変わった。その爆撃機は、恐るべき犠牲を軍艦にも商船にももたらしたのである。
 
== ビスマルクの撃沈 ==
34 ⟶ 33行目:
1942年11月は、戦いのターニングポイントとなる月だった。[[トーチ作戦]]が実行され、イギリス第一軍を始めとする米英軍が、[[モロッコ]]および[[アルジェリア]]に上陸した。H部隊はこの上陸部隊を援護するために動員された。上陸部隊にとっての脅威はイタリア艦隊とヴィシー・フランス軍であったが、目立った抵抗を行ったのはヴィシー・フランス軍だけであった。ヴィシー・フランス軍は[[カサブランカ]]において、上陸部隊を支援するアメリカ艦隊と砲火を交えた。
 
この北アフリカにおける大規模な作戦の最終的な狙いは、[[チュニジア]]を枢軸国の勢力圏から切り離すことであった。この狙いは最終的に達成され、25万人を超える枢軸軍兵士が連合軍第18軍集団に降伏した。25万人といえば、[[スターリングラード攻防]]での降伏者数に等しい数である。H部隊はこの戦いを通して、陸上部隊に厳重な援護を提供した。
 
さらなる2つの上陸作戦において、H部隊は上陸部隊をイタリア艦隊から守るために援護に当たった。1943年7月に行われた、[[シチリア島]]攻略作戦である[[ハスキー作戦]]と、同年9月のイタリア本土[[サレルノ]]への上陸作戦、[[アヴァランチ作戦]]がそれである。戦場が本土に移った結果、イタリア政府は降伏した。