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'''獅子てんや'''(しし てんや、[[1924年]](大正13年)[[6月25日]] - )
:[[東京府]][[荏原郡]][[平塚村]](現・[[東京都]][[品川区]])[[下蛇窪]]生まれ、本名:佐々木 久雄(ささき ひさお)。ボケ役。
:[[1937年]]に高等小学校を中退し、[[東京市]][[芝区]][[三田 (東京都港区)|三田]](現・[[港区 (東京都)|港区]]三田)の電機製品工場に就職。徴用で[[豊島区]][[池袋]]の軍需工場に移り、[[1943年]]、19歳で海軍に応召。追浜・霞ケ浦の[[海軍飛行予科練習生|予科練]]で敗戦を迎える。間もなく[[警視庁]]に採用され、[[原宿警察署]]・[[丸の内警察署]]の巡査を経て、[[1950年]]の[[国家警察予備隊]]([[自衛隊]]の前身)の発足と共に分隊長に昇進。しかし、[[柔道]]訓練中の怪我で療養中にラジオから流れる漫才に心奪われ、当時人気絶頂の[[内海突破]]に[[警察手帳]]を示して1週間通い続け、根負けした師匠から弟子入りを許される。相方わんやの死後は芸能界から退き、妻の勧めで[[在家仏教協会]]に入会、講演活動を行った。
 
'''瀬戸わんや'''(せと わんや、[[1926年]](大正15年)[[3月10日]] - [[1993年]](平成5年)[[2月10日]])