「1932年ドイツ大統領選挙」の版間の差分

プロイセン・クーデタを加筆。lk
(プロイセン・クーデタを加筆。lk)
|×||style="text-align: right;"|3,706,759||style="text-align: right;"|10.10%||エルンスト・テールマン||ドイツ共産党||
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== 影響 ==
大統領に就任したヒンデンブルクは、[[6月1日]]に保守派の[[フランツ・フォン・パーペン]]を首相に任命した。しかし、右翼の[[ナチ党]]からも左翼の[[ドイツ社民党]]や[[ドイツ共産党]]からも支持を受けることが出来なかった。[[7月20日]]にパーペン首相は、[[プロイセン州]]の命令違反を理由に{{仮リンク|プロイセン・クーデタ|de|Preußenschlag|en|Preußenschlag}}({{lang|de|Preußenschlag}})を起こし、プロイセン州政府内の「ヴァイマル共和国派」「反ナチ派」「左翼」を根こそぎ一掃した(→[[1932年7月ドイツ国会選挙]])。
 
== 参考書籍 ==
2,834

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