「ベルタ・クルップ」の版間の差分

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(榴弾砲の部分をコメントアウト。大砲名はNATOフォネティックコード#ドイツ語圏のコード表のB由来では? 他にもドーラ=Dなど。地名表記変更)
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'''ベルタ・クルップ'''('''Bertha Krupp''', [[1886年]][[3月29日]] [[エッセン]] - [[1957年]][[9月21日]] エッセン)は、[[ドイツ]]の鉄鋼財閥[[クルップ|クルップ家]]の女子相続人。結婚後は'''ベルタ・クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ'''('''Bertha Krupp von Bohlen und Halbach''')と名乗った。<!--[[第一次世界大戦]]で使用された榴弾砲「[[ディッケ・ベルタ]]」の名はベルタに因む。「ベルタは今でも使う通話表[[NATOフォネティックコード#ドイツ語圏のコード表]]のBです。これは単なる『榴弾砲B型』の意味ではありませんか?-->
 
クルップ財閥の3代目当主[[フリードリヒ・アルフレート・クルップ]]と、その妻でヘッセン=ナッサウ州知事アウグスト・フォン・エンデ男爵([[:de:August von Ende|August von Ende]])の娘[[マルガレーテ・クルップ|マルガレーテ]]の間の長女として生まれた。1902年に父が死ぬとその相続人となり、{{仮リンク|フリードリヒ・クルップAG|de|Friedrich Krupp AG|label=フリードリヒ・クルップ社}}([[:de:Friedrich Krupp AG|Friedrich Krupp AG]])の全ての株の所有者となった。このときベルタはまだ16歳で未成年だったため、会社の経営は母マルガレーテが代行した。
 
1906年、ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]の紹介で[[プロイセン王国|プロイセン]]の外交官[[グスタフ・クルップ|グスタフ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ]]と結婚し、夫をクルップ財閥の第4代当主とした。[[プロイセン王]]の勅許状により、夫妻はクルップ社の経営に携わってゆく場合に限り、妻方「クルップ」の家名を含む「クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ(Krupp von Bohlen und Halbach)」という姓を名乗ることを許された。
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