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1877年に市街近くでマンガンの地下鉱山が開山したが、1990年代に国営鉱山企業のチアトゥラマンガヌミが破産を宣言し、2004年にロシアのエフラズホールディング社に1250万米ドルで売却された。
 
[[第一次世界大戦]]までは、チアトゥラは世界シェアの4、5割を産出する世界最大のマンガン採掘地であった。1879年以降は鉱山を[[オーバーハウゼン]]の「よい希望のロッジ」、「{{仮リンク|フリードリヒ・クルップAG|de|Friedrich Krupp AG}}」、ゲルゼンキルヒェン=シャルケの「鉱山・精錬所組合」、[[ゲルゼンキルヒェン]]の「鉱山株式会社」、[[ハンブルク]]の「白人鉱山協会」などのドイツ資本が独占したため、産出されたマンガンはほとんどドイツで消費された。[[10月革命]]後もロシアとグルジアの重工業を支えたが、現在はほとんど枯渇している。
 
1924年8月28日から始まったグルジア8月の乱では、[[ボリシェヴィキ]]の支配に対してコーカサス南部の諸都市のなかで最後まで抵抗した。