「梅原克彦」の版間の差分

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== 人物 ==
[[仙台市]][[支倉町]]生まれ。原の両親は共に[[臨床医]]であり、[[東北大学医学部附属病院|東北大学医学部]][[内科学|内科]]に所属していた<ref>[http://shinbun.fan-miyagi.jp/article/article_20071201.php サイエンス・エンジェルへの期待と、中高生読者へのメッセージ 梅原克彦さん(仙台市長)] 『宮城の新聞』 2008年1月23日公開</ref>。梅原自身は[[宮城県仙台第一高等学校|仙台第一高等学校]]を経て、[[東京大学]][[法学部]]を卒業、[[通商産業省]](当時)に入省した。
 
大学入学前年の[[1972年]]([[昭和]]47年)に[[日中国交正常化]]が実現、その影響を受けた梅原は学生時代、第二外国語として[[中国語]]を学んだ。教材は共産党の指導文書であり、[[マルクス・レーニン主義]]や[[文化大革命]]に関する読書も多かったが、梅原には現在でも中国人の友人との交流があるという<ref name="a">市民の生活と安全のために 中国資本進出を拒否した仙台市長梅原克彦氏の「英断」「わが故郷に中華街は作らせない」( [[SAPIO]][http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20080912-01/1.htm 2008年8月20日・9月3日号] )</ref>。また、中国については官僚時代、[[アジア太平洋経済協力|APEC]]や[[ASEAN+3]]などにおいて、厳しい外交交渉を行った経験を持つ<ref name="a"/>。また、通産省時代から[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決に取り組んでいた。