「グスタフ・クルップ」の版間の差分

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グスタフ・クルップは[[1939年]]頃から健康を害し、さらには[[1941年]]には[[脳卒中]]で体が部分的に麻痺するようになった。しかしながら[[1943年]]にクルップ社の経営を息子のアルフレート・クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハに正式に譲り渡すまで、彼は表看板であり続けた。ナチス政府はドイツの軍備にとって死活的なクルップ社を相続による売却や解体から守るため、1943年に特別法([[:en:Lex Krupp|Lex Krupp]])を制定し、グスタフ夫妻から息子への相続にあたり、税金を支払わなくても済むようにした。グスタフは[[チロル]]で静養生活に入った。
 
[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の勝利後、[[1945年]]に開廷した[[ニュルンベルク裁判]]において、グスタフ・クルップは一旦[[戦犯]]として[[起訴]]されたが、既に高齢で寝たきりだったことなどを主たる理由として打ち切られ、起訴が取り下げられた。ただ、息子の[[アルフリート・クルップ]]を始めとしたクルップ経営陣に対しては、[[ニュルンベルク継続裁判]]の一つ・[[{{仮リンク|クルップ裁判]]|de|Krupp-Prozess|en|Krupp Trial}}でその戦時中の活動を問われている。
 
その後は、[[1950年]]に静養先の[[オーストリア]]で死亡した。
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