「フランス第三共和政」の版間の差分

「フランス共和国臨時政府とフォンテーヌブロー会談」に加筆。lk
(「フランス議会選挙 (1945年)」を加筆。lk)
(「フランス共和国臨時政府とフォンテーヌブロー会談」に加筆。lk)
 
==== ノルマンディー上陸作戦~パリ解放 ====
1944年6月には連合軍の[[ノルマンディー上陸作戦]]が成功し、[[8月25日]][[パリの解放|パリは解放]]された
 
=== 北アフリカ戦線 ===
[[イギリス]]や[[アメリカ合衆国]]は、[[フランス領インドシナ]]を経由する「仏印ルート」から[[中華民国]]の[[蒋介石]]政権に対する支援を行なっていたが、[[1940年]][[6月17日]]にパリが陥落すると、[[6月19日]]にインドシナ総督{{仮リンク|ジョルジュ・カトルー|en|Georges Catroux}}将軍も「仏印ルート」の閉鎖を受け入れた。[[9月23日]]に日本軍は[[仏印進駐#北部仏印進駐|北部仏印進駐]]を開始した。[[11月25日]]には[[タイ・フランス領インドシナ紛争]]が始まり、[[1941年]][[5月9日]]に[[東京条約]]が締結された。[[7月28日]]に日本軍は[[仏印進駐#南部仏印進駐|南部仏印進駐]]を開始した。
 
=== フランス共和国臨時政府と正式な解体フォンテーヌブロー会談 ===
1944年8月9日、[[フランス共和国臨時政府]]は、ヴィシー政権が発した命令の無効を宣言し、第三共和政の破棄を決めた諸法令も無効化された({{仮リンク|本国における共和国の法律回復を宣言する1944年8月9日布告|fr|Ordonnance du 9 août 1944 relative au rétablissement de la légalité républicaine sur le territoire continental}})。臨時政府はヴィシー政権の存在を否認し、第三共和政が存続していたという建前を取っていたものの、新憲法制定によって新たな共和政をスタートさせることにした。[[8月20日]]に[[シャルル・ド・ゴール]]が[[フランスの首相|閣僚評議会議長]]に就任。[[8月25日]][[パリの解放|パリは解放]]された。同日、[[ジョルジュ・ビドー]]が外相に任命された。
 
ヴィシー政権関係者の粛清「{{仮リンク|エピュラシオン|fr|Épuration à la Libération en France|en|Épuration légale}}」が実施され、[[1945年]][[10月15日]]に[[ピエール・ラヴァル]]元首相らが銃殺された。
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