「浦野烋興」の版間の差分

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|国旗2 = JPN
|職名2 = [[衆議院]]議員
|選挙区2 = [[愛知県第4区 (中選挙区)|愛知県第4区(旧)]]
|当選回数2 = 6回
|就任日2 = 1979年10月
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'''浦野 烋興'''(うらの やすおき、[[1941年]][[11月3日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]である。[[衆議院議員]](6期)、[[科学技術庁長官]]([[村山内閣改造内閣|第53代]])を歴任。
 
== 概要 ==
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* [[1977年]][[1月16日]] 義父が死去。
* [[1977年]] 豊田通商において総務部総務課長に昇進したが、義父の後継者となるため退社し、政界へ。「浦野やすおき事務所」を設立し、[[選挙]]準備。上京し、自由民主党衆議院議員の[[秘書]]となる。
* [[1979年]][[10月7日]] [[第35回衆議院議員総選挙]]に、義父の地盤を継いで[[愛知県第4区 (中選挙区)|愛知県第4区(旧)]]から自民党公認で立候補しトップ当選を果たす。
** その後トップ当選の座は全[[トヨタ]]労働組合連合会出身の[[民社党]]公認候補([[渡辺武三]]・[[伊藤英成]])に譲るも、義父以来の後援会に支えられ、毎回10万票以上を獲得する安定した選挙を展開し、連続6期当選。[[宏池会]]に所属する。自民党愛知政治大学院講師も務める。
**国際人口問題議員懇談会(会長・[[岸信介]])に参加。
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* 1995年[[12月11日]] もんじゅの現場視察を行う。この際、事故を受けて[[マスメディア|マスコミ]]等で高速増殖炉開発計画の見直しが取り沙汰される中、計画を引き続き堅持する方針を示し、[[村山富市]][[首相]]もこれに同意する。
* [[1996年]] [[オーストリア]]・[[ウィーン]]で開かれた第39回[[国際原子力機関|IAEA]]総会政府代表演説の一番目に演説を行う。
* [[1996年]][[10月20日]] [[第41回衆議院議員総選挙]]で小選挙[[愛知県第11でも|愛知11区]]から出馬し、比例区で復活ならず落選。政界引退を表明。
* [[1998年]][[7月12日]] [[第18回参議院議員通常選挙]]で[[愛知県選挙区]]から出馬し落選。再び政界引退を表明。
* [[2012年]][[4月29日]] [[旭日重光章]]受章。
* [[2013年]][[3月2日]] 豊田市名誉市民<ref>[http://www.city.toyota.aichi.jp/division/am00/am02/1251407_17381.html 豊田市名誉市民]豊田市ホームページ</ref>。
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== 小選挙区制の下で ==
* [[1994年]]の[[選挙]]制度改革によって衆議院議員選挙に[[小選挙区制]]が導入されると、これまで比較的楽な選挙を戦ってきた浦野を取り巻く状況は一変する。[[中選挙区制]]下の旧愛知4区の区割りが変更され、浦野の選挙区はトヨタ関連企業に勤務する有権者が多い[[愛知県第11区|愛知11区]]となり、[[新進党]]に移った伊藤英成との一騎打ちに臨むことになったのである。迎えた[[1996年]][[第41回衆議院議員総選挙]]では8万5千票と得票が伸びず、全トヨタ労連の[[組織票]]に支えられた伊藤に3万7千票の差をつけられて大敗。[[惜敗率]]69.5%となり、[[比例代表]]復活当選もならなかった。浦野は政界引退を表明したものの、年齢が若かったため自民党や後援会から慰留された。
* 豊田市幹部からも「豊田市には全トヨタ労連の議員と自民党の議員の二議席が必要」と国政復帰を求める声が上がった。
* [[1998年]]、[[第18回参議院議員通常選挙]]に出馬を要請され[[愛知県[[選挙区]]から自民党公認で立候補。しかし自民党苦戦の流れの中、愛知県選挙区のもう一人の自民党公認候補で現職の[[大木浩]]と共倒れ落選。議席を獲得できず、政界引退を表明した。
* [[1999年]]、引退を表明した加藤正一豊田市長の後継者に名前が挙がり、[[自由民主党 (日本)|自民党]]・[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]などから[[2000年]]2月の豊田市長選挙出馬を要請されるも辞退。市長選には[[鈴木公平]]助役が立候補し当選。
* [[2003年]]、[[第43回衆議院議員総選挙]]に際し自民党では民主党の組織票が強固な愛知県11区の候補者擁立が難航していたが、伊藤英成が引退を表明したこともあり「知名度や実績がある」候補として浦野の再出馬を要請した。しかし浦野は既に何度も政界引退を表明していることや健康状態等を理由に固辞。自民党は候補者を擁立できず、不戦敗となった。