「仕立屋銀次」の版間の差分

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当時東京市内にスリは約1500人いると言われ<ref name=m41/>、[[1906年]](明治39年)ころからスリ一掃のための大検挙が始まった<ref name=m42/>。それ以前は、情報収集の手段に刑事がスリや博徒を利用することがあったため、スリの取り締まりはそれほど厳しくなく、スリ被害の届けがあると、刑事が親分に言って盗品を出させたり、逮捕されたスリを釈放するというような特殊な関係があったが(刑事とスリが結託して犯罪をすることもあった<ref name=suri/>)、大検挙のあとに警察にスリ係ができ、そうした関係も崩れていった<ref name=m42/>。1909年(明治42年)に金時計の盗難事件が起こり、これをきっかけに逮捕された。1910年(明治43年)5月、裁判により懲役10年の判決を受け、服役<ref name=meiji/>。
 
1919年(大正8年)に釈放され息子の世話となっていたが、1930年(昭和5年)4月24日、[[新宿]][[三越]]で反物を万引して再び捕まった<ref>朝日新聞「仕立屋銀次捕わる 又もや悪心 」1930年3月25日付け朝刊11頁</ref>。この時は不起訴となっている<ref>朝日新聞「仕立屋銀次は不起訴」1930年7月12日付け朝刊11頁</ref>。没年は不明。
 
== 金時計事件と一斉検挙 ==