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{{See also | からゆきさん}}
[[明治維新]]以降、[[吉原遊郭]]などの日本の売春システムが欧米人の目にさらされとりわけ宣教師たちの批判にさらされたので、体裁を整えるために明治政府は[[芸娼妓解放令]]を発布した。また、娼婦や売春宿の隔離、囲い込みなどが成されたほか、新聞などで娼婦が「醜業婦」、「闇の女」などの別称で呼ばれる例が見られる様になる<ref>『性欲の文化史』p.25 - 、p.128 -、『うるま新報』1946年2月20日「闇の女の増加に文相頭痛」(醜業婦との記述もあり)、『戦後性風俗大系』p.12 -</ref>。
 
近代的な検査が可能になり、公娼制度の下で性病検査が行われるようになった。国際的に見て、アジアなどの広域で各国娼婦が活動する(または売買される)ようになったのは、これが大きいとも言われる。また公娼制度の下での性病検査の存在は、公娼廃止運動に対する反対根拠ともなっている。