「桃中軒雲右衛門」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎参考文献: はちゃはちゃなひとの著作を参考文献から削除
編集の要約なし
1行目:
[[File:桃中軒雲右衛門(初代).png|thumb|桃中軒雲右衛門(初代)|150px]]
'''桃中軒 雲右衛門'''(とうちゅうけん くもえもん、[[1873年]]([[明治]]6年)[[5月5日]] - [[1916年]]([[大正]]5年
)[[11月7日]])は、明治から大正時代にかけての日本の[[浪花節|浪曲]]師。亭号は[[沼津駅]]の駅弁屋である[[桃中軒]]に由来する。名は修行時代に兄弟分であった力士の「天津風雲右衛門」に由来するとされる<ref>[[石谷華堤]]および[[正岡容]]の説、他に諸説あり)</ref>
 
== 略歴 ==
17行目:
また日本における初の著作権訴訟は、雲右衛門のレコード吹込みに関するトラブルであった。教科書にも必ず掲載されている裁判例として有名である<ref>http://www.rclip.jp/activity/column82.html</ref>。
 
孫に、超常現象研究者の[[中岡俊哉]]、ひ孫に演芸評論家の[[岡本和明]]がいる。
 
== 桃中軒雲右衛門を扱った作品 ==
31行目:
 
小説等
*[[岡本和明]]『俺の喉は一声千両―天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』新潮社
 
== 脚注 ==