「ギリシャ独立戦争」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
馬屋橋 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
馬屋橋 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
{{ギリシャの歴史}}
'''ギリシャ独立戦争'''(ギリシャ語:<span lang="el">'''Ελληνική Επανάσταση του 1821'''</span>(1821年ギリシャ革命)、英語:'''The Greek War of Independence''')は[[オスマン帝国]]からの[[ギリシャ]]の独立を巡り争われた戦争。

ギリシャは[[1822年]]に独立宣言を行い、[[1829年]]の[[アドリアノープル条約]]によって自治国としての独立が承認され、[[1830年]]の[[ロンドン議定書]]によって列強間でギリシャの完全な独立が合意され、最終的には[[1832年]]6月の[[コンスタンティノープル条約 (1832年)|コンスタンティノープル条約]]{{enlink|Treaty of Constantinople (1832)|a=on}}でギリシャの独立は承認された。ギリシャでは1821年3月25日を[[独立記念日]]としている。
 
ギリシャ独立戦争の局面は大きく二つに分けられる。[[フィリキ・エテリア]]の蜂起からギリシャ軍が有利であった[[1821年]]から[[1825年]]までが第一期、オスマン帝国が有利になりギリシャ軍に壊滅の危機が迫った1825年から[[1827年]]が第二期であるが、1827年列強三国(イギリス、フランス、ロシア)が介入したことによりギリシャの独立は現実味を帯びた。そして1830年ロンドン議定書が締結されたことでギリシャの独立が決定されたが、そこには多くの問題が含まれていた<ref>[[#柴(バルカン史)|柴(1998)、pp.163-166]]</ref>。