「ソニー・リストン」の版間の差分

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== 来歴 ==
リストンは幼い頃から犯罪手を染めており、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕された記録が残されている。その間に刑務所でボクシングを覚え<ref name="Sonny was a killing machine" >{{cite web|url= http://espn.go.com/classic/biography/s/Liston_Sonny.html |title= Liston was trouble in and out of ring |publisher= ESPN.com |date= |accessdate= 2015-02-05 }}</ref>。
 
[[1952年]]、2年間の刑務所生活から仮釈放で出所、セントルイスのマフィアのボス、ジョン・ビターレと関係するようになる<ref name="Sonny was a killing machine" />。
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[[1953年]]、プロデビュー。
 
[[1956年]]5月5日、路上でリストンを呼び止めた警官暴行し、を働いた上に拳銃を奪い去ったとして感化院へ9ヶ月間送られる。その後、再び警官相手に暴力沙汰を起こして町を出て行くよう宣告を受け、セントルイスからフィラデルフィアへ拠点を移す<ref name="Sonny was a killing machine" />。
 
この頃から数年に渡って、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモと、ニューヨークマフィアの[[ルッケーゼ一家]]の一員で[[マーダー・インク]]の殺し屋のフランキー・カルボに支配されるようになる<ref name="Sonny was a killing machine" />。
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[[1965年]][[5月25日]]、[[メイン州]][[ルイストン (メイン州)|ルイストン]]にてクレイにリターンマッチを挑むが、1ラウンド2分12秒でクレイに返り討ちのKO負けを喫した。
 
[[1971年]]1月5日、帰省から帰ってきた妻がラスベガスの自宅ベットの下でリストンが死んでいるのを発見、検査官によって6日前に死亡したと推定された。死因についてはキッチンでヘロインが見つかり、リストンの腕にも注射痕があったことからヘロインの過剰摂取とされているが、心臓麻痺やマフィアに殺害されたなど諸説ある<ref name="Sonny was a killing machine" /><ref>{{cite web|url= http://www.reviewjournal.com/sports/boxing/those-who-knew-him-best-still-say-sonny-liston-was-done |title= Those who knew him best still say Sonny Liston was done in |publisher= Las Vegas Review-Journal |date= 2011-1-5 |accessdate= 2015-2-6}}</ref>。
[[1970年]]、薬物の過剰服用によりラスベガスにて急死(心臓麻痺やマフィアに殺害されたなど諸説ある)<ref name="Sonny was a killing machine" />。
 
== 関連項目 ==