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'''ペルハム・グレンヴィル・ウッドハウス'''('''Pelham Grenville Wodehouse''', [[1881年]][[10月15日]] - [[1975年]][[2月14日]])は[[イギリス]]の[[小説家]]。[[ユーモア]]小説の大家として知られる。
 
== 生涯 ==
1881年[[ロンドン]]近郊[[サリー (イングランド)|サリー]]の[[ギルフォード (イングランド)|ギルフォード]]に生まれる。父は当時イギリス領であった[[香港]]の役人で幼少のころは香港で育った。その後はイギリスにいた何人かの伯父おじ伯母おばの家で暮らした。ころは行動をたいへん規制されていたらしく、後年の作品では伯母おば一般を「怖ろしい存在」として描いている。
 
[[ダリッジ・カレッジ]]で学び、[[オックスフォード大学]]への進学を希望するものの経済的理由で断念し、1901年に[[香港上海銀行]]ロンドン支店に就職する。1902年9月に小説賞金ハンターを発表、翌1903年に銀行を退職し、本格的に小説家活動を始める。その後も数々のユーモア小説を発表し、徐々に作家としての地位を築いていった。1909年に拠点をアメリカに移す。し、ウッドハウスはその後生涯のほとんどを[[ニューヨーク]]で過ごし、1955年にはアメリカに帰化している。
 
第二次世界大戦中、旅行先のフランスで[[ナチス・ドイツ]]軍に拉致され、ナチスが米英へ向けて放送していたラジオ声明に出演させられた事もことがある。ここで捕虜生活の不平を面白おかしく語ったり、知り合ったドイツ軍将校について好意的な意見を述べたりした。この放送はイギリス国内から激しい非難を受けたが、のちに[[ジョージ・オーウェル]]ら友人の作家たちの擁護もあり、名誉は回復されている。
 
1975年1月には、イギリス女王[[エリザベス2世]]から[[ナイト]]の称号を与えられたが、翌月に死去した。93歳。
1955年にはアメリカに帰化。
 
1975年1月には、イギリスの女王から「[[ナイト]]」の称号を与えられたが、翌月に死去した。93歳。
 
== 作品リスト ==
{{See|P・G・ウッドハウスの著作一覧}}
=== 主要な日本語訳書 ===
(現在入手が容易なもの)
; ウッドハウス・コレクション([[森村たまき]]訳、[[国書刊行会]]より刊行)
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== 関連項目 ==
* [[プリーズ、ジーヴス]]([[勝田文]]によるジーヴスシリーズのコミカライズ。森村たまき訳版をベースとしている
 
== 参考文献 ==
* [[ジョージ・オーウェル]]「P・G・ウドハウス弁護」(『オーウェル評論集』[[岩波文庫]]所収) - ナチスに拉致されたのちのウッドハウスを擁護した文章。
 
== 外部リンク ==
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{{writer-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:うつとはうす ひいしい}}
[[Category:P・G・ウッドハウス|*]]
[[Category:イギリスの小説家]]
[[Category:イギリスの推理作家]]
[[Category:ギルフォード出身アメリカ合衆国人物小説家]]
[[Category:アメリカ合衆国の推理作家]]
[[Category:アメリカ合衆国帰化市民]]
[[Category:イングランド系アメリカ人]]
[[Category:サリー出身の人物]]
[[Category:1881年生]]
[[Category:1975年没]]