「1932年11月ドイツ国会選挙」の版間の差分

(2月1日の解散を加筆。lk)
 
== 背景 ==
1932年[[9月12日]]、ドイツ国会において本会議が開かれたが、[[ドイツ共産党]]により[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]大統領の「大統領内閣」の首班である[[フランツ・フォン・パーペン]]首相の不信任案が提出されたために議事が進まなかった{{#tag:ref|内閣不信任案は最優先で審議することが議会運営規則となっていた。|group=#}}。このため中央党は[[国家社会主義ドイツ労働者党]](以下ナチ党)へ不信任案の否決に協力するよう求めたが、ナチ党はこれを拒否、[[アドルフ・ヒトラー]]は本来、共産党とは手を組む気はなかったがパーペン内閣を追い落とすためには已むを得ないと判断、共産党へ同調するよう指導した{{#tag:ref|ヨゼフ・ゲッベルスは[[6月5日]]の日記で「このブルジョワ内閣は暫定的なものであり、早く手を切らなければならない。」と記しており、[[6月9日]]にパーペンと会見したヒトラーは「私は貴方を暫定的首相としてみている。私はわが党をドイツ最強の党にする努力を続ける。そうすることによって首相の座が私のものになるだろう」と語った<ref name="第三帝国の興亡1 333">[[#シャイラー(第三帝国の興亡1)| シャイラー (2008)、p.333]].</ref>。|group=#}}‎<ref name="ヒトラー独裁への道 293">[[#ヘーネ(ヒトラー独裁への道)| ヘーネ (1992)‎、p.293]].</ref><ref name="第三帝国の興亡1 342-3">[[#シャイラー(第三帝国の興亡1)| シャイラー (2008)‎、pp.342-3]].</ref>。
[[File:Bundesarchiv N 1310 Bild-048, Berlin, Reichstagssitzung.jpg|thumb|200px|首相パーペン(左側で立っている人物)の抗議を余所見して聞き流す議長ゲーリング(右側で立っている人物)、1932年9月12日]]