「エリック・ヒルマン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
リンク修正
33行目:
[[1987年のMLBドラフト]]16巡目で[[ニューヨーク・メッツ]]に指名され契約。{{by|1992年}}5月18日に[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]初昇格。
 
{{by|1995年}}に[[日本プロ野球|NPB]]の[[千葉ロッテマリーンズ]]に入団。第一期[[ボビー・バレンタイン|バレンタイン]]政権下で1年目から12勝を挙げ、チームの2位躍進に貢献。{{by|1996年}}には14勝を挙げ、同僚の[[伊良部秀輝]]と[[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]のタイトルを僅差で争い、好成績が評価されて[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]に輝いた。
 
身長208cmながら[[速球|ストレート]]はあまり速くなく、その長身から投げ下ろす[[カーブ (球種)|カーブ]]や[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[シンカー・スクリューボール|スクリュー]]などの[[球種 (野球)|変化球]]を武器に相手打者を次々と打ち取っていった。また、1996年の15[[死球]]が示すように相手打者の内角も思い切って突いていく投球スタイルであった。当時のヒルマン、伊良部、[[小宮山悟]]の先発3本柱は、揃って安定した成績を挙げていたと言う点で、球界屈指の先発陣であった。