「ヒズボラ」の版間の差分
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{{Infobox
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| native_name = حزب الله
| native_name_lang = ar
| image= [[ファイル:Hezbollah, Baalbek, Lebanon (5073929381).jpg|240px]]
| caption= ヒズボラの旗
| war=[[レバノン内戦]]・[[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン侵攻]]・[[シリア内戦]]
| active= [[1982年]]
| ideology= [[レバノン]]での[[イスラム共和制]]の樹立
| leaders= [[ハサン・ナスルッラーフ]]
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| area= [[ファイル:Lebanon Jul06.png|200px|alt=ヒズボラはレバノン北東部・南部を中心に活動している]]<br /><small>レバノンでのヒズボラの活動領域(2006年)</small>
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'''ヒズボラ'''
== 概要 ==
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[[イラン]]と[[シリア]]が組織を支援しているといわれており、特にイランは組織設立時の関与や武器供給などヒズボラと密接に結びつき、一部の[[破壊活動|活動]]はイランの指示によるものとされている<ref name="nybooks">{{cite web|url=http://www.nybooks.com/articles/17060|title= In Search of Hezbollah|author=Adam Shatz|publisher=The New York Review of Books|date=April 29, 2004|accessdate=August 14, 2006}}</ref> 。[[スンナ派]]の[[サウジアラビア]]・[[ヨルダン]]・[[エジプト]]などはヒズボラの行動を批判している。シリアは主として、後方補給拠点や訓練施設、要人の自宅などを提供しており、イランから空路で到着した物資や人員はダマスカス=ベイルート街道を陸路で通り、レバノン国境を経てヒズボラに供給されているといわれる。
[[ファイル:Hezbollah exhibition Baalbek Lebaonon.jpg|thumb|ヒズボラの[[ロケット弾]](2006年)]]
[[1980年代]]以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、[[1983年]]10月、[[ベイルート]]の[[アメリカ海兵隊]]兵舎への[[自爆テロ|自爆攻撃]]、[[1984年]]9月のベイルートでの[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[大使館]]への自爆攻撃、[[1992年]]には[[アルゼンチン]]のイスラエル大使館への攻撃を実行した。[[2000年]]にイスラエルがレバノンから撤退した後も、イスラエルへの攻撃を繰り返している。[[2006年]]7月にイスラエル軍部隊と交戦した際、投降した兵2名を捕虜にした。この結果、イスラエルの[[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン再侵攻]]を招き、全面衝突となったが、同年[[8月14日]]に停戦が成立し、現在に至っている。
一説には2006年侵攻劇はレバノンにおけるヒズボラの政治的地位確保のための行動とも言われる。レバノン国軍に勝る軍事力を持ち、レバノン政府から施設運営費を得ていくために必要だったとされるが、その動機などは追及されていない。なお、ヒズボラ自身は、2006年の対イスラエル戦について「歴史的勝利」、と主張している<ref>{{Cite news
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== 組織 ==
[[ファイル:HezbollahOrgChart.svg|thumb|ヒズボラの組織構成図]]
[[1990年代]]から軍事部門と政治部門の分離が進められ、1992年に軍事部門「'''レバノン・イスラムの抵抗'''」は形式上ヒズボラとは無関係な独立機構に分離された。
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== 闘争 ==
[[ファイル:Hezbollah guerrillas.GIF|thumb|180px|ヒズボラの[[民兵]](1998年)]]
===1982年===
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===1983年===
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===1984年===
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===1986年===
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===1994年===
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===1996年===
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===2000年===
*秋 - [[スイス]]でビジネスマンのエルハナン・タンネンバウムを誘拐。
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ヒズボラは長期にわたってアサド家率いるシリアの政権与党バース党の同盟勢力であった。ヒズボラはシリア内戦で同国政府による反体制派の弾圧に協力してきたとされている<ref>"US adds Hezbollah to Syria sanctions list". Al Jazeera. August 10, 2012.</ref>。2012年8月、国連はヒズボラが同内戦に関与したとして制裁を加えた。最高指導者のナスララは、ヒズボラがシリア政府の側について戦った事実を否定し、同年10月12日の演説で「当初からシリア反体制派はマスメディアに向けてヒズボラが3000人の戦闘員をシリアに派遣したと主張してきたがヒズボラは否定した」と語った<ref>Drone flight over Israel: Nasrallah’s latest surprise| arabamericannews.com| 12 October 2012]</ref>。しかしレバノン紙「デイリー・スター」によるとナスララは同じ演説の中で、「レバノン国籍のシーア派住民居住地である(シリア国内の)23の戦略的に重要な村の支配をシリア政府が維持する」ことにヒズボラ戦闘員が協力したと語った<ref>Hirst, David (October 23, 2012). "Hezbollah uses its military power in a contradictory manner". The Daily Star (Beirut).</ref>。ナスララはヒズボラ戦闘員がシリアで「聖戦の義務」を果たして死亡したとも語った<ref>Hirst, David (October 23, 2012). "Hezbollah uses its military power in a contradictory manner". The Daily Star (Beirut).</ref>。
== 脚注 ==▼
{{Reflist|3}}▼
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Hezbollah}}
*[[ヒズボラの保有兵器]]
*[[レバノン侵攻 (2006年)
*[[国際連合安全保障理事会決議1701]]
== 外部リンク ==
* [http://www.moqawama.org/
* [http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/hizballah.html 公安調査庁 - ヒズボラ]
* [http://www.almanar.com.lb/NewsSite/News.aspx?language=en Al-Manar - the satellite television station of Hezbollah]
* [http://synodos.jp/international/7006 SYNODOS - 「ヒズブッラーとは何か――抵抗と革命の30年」
* {{PDFlink|[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.22-2/03_Suechika.pdf 『立命館国際研究』22-2号(2009年) - 「抵抗と革命をむすぶもの(1)――レバノン・ヒズブッラーの誕生(1982〜85年)」
* {{PDFlink|[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.22-3/10_Suechika.pdf 『立命館国際研究』22-3号(2010年) - 「抵抗と革命をむすぶもの(2)――イスラーム思想史のなかのレバノン・ヒズブッラー」
▲== 脚注 ==
▲{{Reflist}}
{{対テロ戦争}}
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