「ラパッロ条約 (1922年)」の版間の差分

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==軍事的影響==
これにより、両国は軍事面などで連携を深め、[[ソビエト連邦|ソ連]]は[[赤軍]]の訓練をドイツで行い、ドイツは航空訓練(ヴェルサイユ条約で一切の空軍を持つことをドイツは禁止されている)や、[[毒ガス]]実験の場などをソ連から提供された。[[ハンス・フォン・ゼークト]]や[[マックス・バウアー]]、後のドイツ国防軍を担う[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク]]、[[ヴィルヘルム・カイテル]]、[[ハインツ・グデーリアン]]、[[フーゴ・シュペルレ]]などが当時のソ連と関係を持った。
 
ドイツは将校によるソ連将校の教育を行い、以後ドイツ人による外国軍の訓練活動を[[トルコ]]、[[ボリビア]]においても行い<ref name=sjbyd21 />、[[中華民国]]においては[[中独合作]]の形となり軍事的な面以外に経済的な面でも(兵器輸出などで)ドイツを支える基盤となった。
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==関連項目==
{{commonscat|Treaty of Rapallo (1922)}}
*[[マックス・バウアー]]
*[[ハインツ・グデーリアン]]
*[[フーゴ・シュペルレ]]
*[[ヴィルヘルム・カイテル]]
*[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク]]
*[[ヴェルサイユ条約]]
*[[独ソ不可侵条約]]