「キャスリン・ビグロー」の版間の差分

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その後[[コロンビア大学]]芸術大学院に入学し、映画理論と批評を学ぶ。在学中の1978年に短編映画『''The Set-Up''』で映画監督デビューし、当時教授だった[[ミロス・フォアマン]]の好評を得、修士号の一部として提出した。1981年に初の長編『[[ラブレス (映画)|ラブレス]]』を制作。この頃[[ギャップ_(企業)|GAP]]の広告モデルも務める。[[1989年]]に[[ジェームズ・キャメロン]]と結婚したが、[[1991年]]に離婚した。
 
元夫キャメロンの小説を原作にした1995年の『[[ストレンジ・デイズ/1999年12月31日]]』は、1万5千人のエキストラを動員した大作だったが、制作費4,200万ドルに対し興行収入800万ドルという歴史的赤字となってしまう。20002002年の『[[K-19_(映画)|K-19]]』も制作費1億ドルに対し国内興行収入3,500万ドルとまったく振るわなかった。
 
イラクでの爆発物処理班の任務を描いた[[2009年]]の『[[ハート・ロッカー]]』は、制作費1,500万ドルの低予算映画ながら[[ヴェネツィア国際映画祭]]で高い評価を受ける。本作は同年度公開となった元夫キャメロンの『[[アバター (映画)|アバター]]』と賞レースを争い、[[第82回アカデミー賞]]でも大きな話題となったが、結果的に『[[ハート・ロッカー]]』が作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響編集賞、録音賞の6部門を制し、ビグロー自身も史上初の女性による監督賞受賞という快挙を成し遂げた。