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'''仁科 盛政'''(にしな もりまさ、生年未詳 - [[15611605年]]([[永禄慶長]]410年)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[信濃国]][[安曇郡]][[森城 (信濃国)|森城]]主。官位は[[従五位]]下、[[右衛門大夫]]。[[仁科盛康]]の子。子に[[仁科盛信]]室。信濃に於ける[[仁科氏]]直系の最後の当主。通称は織部。
 
仁科氏は先祖代々信濃国安曇郡の[[国人]]領主であった。戦国期に入り[[武田信玄]]の信濃侵攻に対し、信濃守護[[小笠原氏]]、信濃[[村上氏]]と共闘するが力及ばず、その軍門に降っていた。
 
1561年([[永禄]]4年)[[第四次川中島の戦い]]の折、盛政は信玄に従い佐久地方を転戦していた。この時、留守役の家臣達が[[上杉景勝]]の調略に応じ、仁科氏は上杉氏に降ることとなった。1584年([[天正]]12年)6月には[[更級郡]]八幡社の神職に補せられ(景勝朱印状)、その子である仁科盛定が家督を継ぎ、父子とも1598年([[慶長]]3年)の上杉氏会津転封に従い、盛定ちに代以降は[[米沢藩]]士となった。
 
一方の安曇郡では、1571年([[元亀]]2年)、武田信玄の五男[[仁科盛信]]が新たな領主として仁科氏の[[名跡]]を継ぐこととなった。
 
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[[Category:仁科氏|もりまさ]]
[[Category:生年不明]]
[[Category:15611605年没]]
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