「アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)」の版間の差分

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==== ボン合意 ====
{{Main|ボン合意}}
2001年11月、[[ドイツ]]の[[ボン]]近郊のケーニヒスヴィンターにおいて北部同盟を含むアフガニスタンの4つのグループの代表を国際連合が招集して会議が開かれた。ボン会合当時、ターリバーンとの戦闘は継続していたが、すでに北部同盟軍がカーブルを占領しており、早急に暫定政府の設立、国際的な部隊による治安維持を決める必要が生じたので、急遽、ボン会合が招集されることとなった<ref>進藤雄介『アフガニスタン祖国平和の夢』朱鳥社、2004年、80-84頁、ISBN 4-434-05210-1 </ref>。これにより[[アフガニスタン・イスラム移行政府|暫定政府]]の成立、[[ロヤ・ジルガ]]の招集、[[国際治安支援部隊]] (ISAF)の成立と[[国連アフガニスタン支援ミッション]] (UNAMA)の設立が合意され、翌日[[国際連合安全保障理事会|国連安全保障理事会]]において承認された([[国際連合安全保障理事会決議1383]])。これをボン合意といい、以降のアフガニスタン復興計画のスタートとなった。
 
12月、ISAFは[[国際連合安全保障理事会決議1386]]、UNAMAは[[国際連合安全保障理事会決議1401]]によって正式に承認され、以降のカーブル周辺の治安維持活動はISAFが担うこととなった。しかし、ターリバーンはボン合意に参加しておらず、また、ボン合意に基づき成立した暫定政府が少数民族主体であったため、パシュトゥン人の不満が高まり、ターリバーンが復活する一因となった<ref>進藤雄介『タリバンの復活―火薬庫化するアフガニスタン』花伝社、2008年、158-160頁、ISBN 9784763405302 </ref> 。