「コリントス同盟」の版間の差分

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コリントス同盟により、[[ペルシア戦争]]でギリシアに多大な損害をもたらした復讐として[[アケメネス朝|ペルシア]]討伐が決議され、各ポリスはその為に兵士をマケドニア王国に派遣した。この兵士たちは人質の役目も果たした。ピリッポス2世が暗殺された後は、その息子である[[アレクサンドロス大王]]がコリントス同盟の盟主を引き継いだ。
 
アレクサンドロス大王はペルシア討伐の東方遠征を開始し、[[ガウガメニコス川の戦い|グラニコス河の戦い]]でペルシア帝国軍を破った際には、以下の文章と共にペルシア兵の武具を[[デルポアテナ]]の[[パルテノン神殿]]に献上した。また、[[ペルセポリス]]の宮殿を炎上させ、[[アテナイ]]を焼き払ったことへの復讐を成し遂げた。その間、ギリシア本土はマケドニア王国の圧倒的な軍事力を背景にしたコリントス同盟によって、平和が訪れていた。
 
コリントス同盟はアレクサンドロス大王死後、[[ディアドコイ戦争#ラミア戦争|ラミア戦争]]まで続いた。
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一方、アレクサンドロスよりマケドニア王国とギリシア諸都市を任されていた[[アンティパトロス]]は40,000以上の兵力を召集してアギスの許へ進撃した。こうして[[メガロポリスの戦い]]が勃発した。アギス3世率いるスパルタ軍は快進撃を続け、緒戦では勝利し、屈強なスパルタ[[重装歩兵]]はマケドニア軍の[[サリッサ]]を用いる重装歩兵に対しても優勢であった。しかし、2倍以上の兵力差が仇となり、マケドニア軍の重圧に徐々に劣勢に転じていった。アギス3世は敗北を悟ると、部下たちには生き延びるように命令を下し、自らは武器を手にして敵軍に突撃した。彼は負傷しながらも迫り来るマケドニア軍を薙ぎ倒していったが、遂に倒れ、アギス3世は英雄的な死を遂げた。
 
メガロポリスの戦いの後、スパルタはコリントス同盟に強制的に参加させられた。
 
== 参考文献 ==