「ラルフ・ヴォタペック」の版間の差分

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でぃず (会話 | 投稿記録)
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1956年、17才時に[[ガーシュウィン]]の「[[ラプソディ・イン・ブルー]]」を、同曲初演指揮者の[[ポール・ホワイトマン]]の指揮で演奏。
 
1962年、第一回[[ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール]]で優勝。その後演奏活動をするかたわら、[[ミシガン州立大学]]でピアノの教授を36年間勤める。またこの間多くのピアノ国際コンクールの審査員もつとめる。
 
[[アール・ワイルド]]や[[アーサー・フィードラー]]といったアメリカ楽壇の名匠と親交があり、フィードラー最晩年の録音、[[ガーシュイン]]の「セカンド・ラプソディ」にもソリストとして参加。現在主に北米および南米での演奏活動を行っている、アメリカの著名なピアニストのひとり
 
現在主に北米および南米での演奏活動を行っている、アメリカの著名なピアニストのひとり。
二十世紀のピアノ音楽、特にフランス、スペイン、そしてアメリカ音楽に定評があり、それらのいくつかはレコーディングもされている。1997年初来日。
 
二十世紀のピアノ音楽、特にフランス、スペイン、そしてアメリカ音楽に定評があり、それらのいくつかはIvory Classics等でレコーディングもされている。1997年初来日。
 
== 外部リンク ==