「東貞蔵」の版間の差分

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NOMUKKOQ (会話 | 投稿記録)
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===退官後===
退官後は近畿労災病院院長に天下り(2003年版では近畿労共病院院長)。財前が起訴されると、[[里見脩二]]や関口仁からの依頼を受け、一審では東北大学名誉教授の一丸直文、二審では関東医科大学助教授の正木徹を紹介した。なお、原作には、控訴審の初公判を傍聴するという内容が記述されている。1978年に放送されたシリーズでは、自宅を訪れた関口に「今回の裁判は間接的に自分にも責任がある」と述べて一丸と正木を紹介こそしたものの、自身は政子からの猛反発もあり裁判への出廷や傍聴は一度も行わなかった(佐枝子は政子の反発を受け入れず、第一審から控訴審まで1人で傍聴した)。依頼を受けた正木も財前側からの圧力で鑑定医の依頼を一旦は辞退したが、医師として社会的責任を感じ一転受諾、控訴審で佐々木側の鑑定医として出廷する、というストーリーになっている。また、2003年に放送されたシリーズでは、里見脩二に財前五郎が自分の退官日に佐々木庸平の手術を行っていたことを聞き、関口に鑑定医として正木を紹介するが、一度鑑定医を受諾したはずの正木が財前側の工作によって辞退し、さらに船尾が財前側に寝返ったことで自ら出廷を決意。証言の際に財前との確執について厳しく問い詰められながらも「教え子の誤りは自分の誤り」として、その責任を取るため院長辞職を表明する、といったストーリーになっている。また2003年版では娘・佐枝子とともに第二審の判決を傍聴している。
 
===財前への執刀===