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「結城政朝 (白河氏)」の版間の差分
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2006年4月24日 (月) 22:19時点における版
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3行目:
父の直朝とともに白河結城氏の最盛期を築き上げ、南奥州や北関東に権威を振るった。
[[1510年]]に有力支族の[[小峰氏]]と対立して当主[[小峰朝脩]]を自害させ
内紛を起こし、
た。その後
朝脩の父直常に攻められ
て
那須へ逃亡し
、
行方不明となった([[永正の変]])
。この内紛により、白河氏の勢力は衰退することになる
。
これ以降白河氏の勢力は衰退することになる。
[[1481年]]に白河氏の栄華を讃えて一日一万句の[[連歌]]会を催した。この連歌会は「[[宗祇]]戻し」の逸話がある。