「ロベルト・ブンゼン」の版間の差分

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ハイデルベルグ大学での門下生には、[[ロータル・マイヤー]]、[[アドルフ・フォン・バイヤー]](滞在1856~1858年)、[[フリードリヒ・バイルシュタイン]](同1853~1857年)、[[ヴィクトル・マイヤー]](1889年ブンゼンを継いで第三代化学教室教授となる)、[[ヘイケ・カメルリング・オネス]](同1871~1873年)などがいる。また[[ドミトリ・メンデレーエフ]]も1859年から2年間留学生として滞在した。
 
[[1852年]]から[[ヘンリー・エンフィールド・ロスコー|ヘンリー・ロスコー]]と[[水素]]と[[塩素]]からの[[塩化水素]]の生成の研究を始め、[[ブンゼン-ロスコーの法則]]の発見につながった。[[1859年]]からキルヒホッフと[[分光学]]の研究を始めて、[[1860年]]にセシウム、[[1861年]]にルビジウムを発見した。
 
[[火山ガス]]の分析など、後に[[地球化学]]の分野になる研究を行った。1870年に氷熱量計、[[1887年]]に蒸気[[熱量計]]の発明を行った。